岩城 景隆(いわき かげたか)は、江戸時代前期の出羽国亀田藩の世嗣。
略歴
出羽国亀田藩3代藩主・岩城重隆の長男として誕生。正室は小笠原長次娘。
重隆の嫡子であったが、素行の悪さから天和2年(1682年)、29歳で廃嫡され幽閉された[3]。元禄9年(1696年)、家臣からの声もあり、重隆は彼を赦免しようとしたが、その直前に死去した。
嫡子の座は、景隆の長男・秀隆が継承した。
脚注
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』
- ^ a b c d e f g 『亀田岩城家譜』
- ^ 父・重隆と対立したとも。また『寛政重修諸家譜』や『亀田岩城家譜』には「病のため嫡子を辞し」との記述がある。
出典