山田 六郎(やまだ ろくろう、1873年(明治6年)3月25日[2][注 1] - 1952年(昭和27年)6月8日)は、昭和時代前期の政治家。実業家。養蚕家。衆議院議員。福島県双葉郡上岡村長。旧姓・宗像。
経歴
福島県双葉郡、のちの上岡村(双葉町を経て、現富岡町)で宗像七郎の二男として生まれ[2]、1899年(明治32年)上岡村大字本岡の山田周蔵の養子となる[2]。1900年(明治33年)福島県立蚕業学校別科を卒業する。
郡書記、上岡村会議員、同村長、1923年(大正12年)福島県会議員を歴任。また、農業を営み、富岡輸出羽二重専務取締役、双葉館取締役社長、双葉郡農会長、同養蚕業組合長、県養蚕業連合会長、全国養蚕業組合連合会副会長、日本中央蚕糸会議員、県信用組合連合会監事、帝国耕地協会理事、日本蚕糸統制設立委員を務めた。
1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙では福島県第3区から出馬し当選。つづく第21回総選挙でも翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選し、衆議院議員を2期務めた。議員在任中は、翼賛会政調農林、商工兼務委員を歴任し、派遣軍慰問のため満州に渡った。
戦後、公職追放となった[注 2]。
脚注
注釈
- ^ 『福島県の政治家 : 県会議員・衆議院議員・貴族院議員』11頁では明治6年3月15日生。
- ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員、翼賛郡支部長同協」。
出典
- ^ a b c 『福島県人名鑑 : 一名・事業と人物』ヤ7頁。
参考文献