山下 ツ子[注 1](やました ツね、1899年1月5日[1] – 1987年7月12日[2])は日本の政治家。衆議院議員(1期)。
来歴
熊本県熊本市出身[1]。1920年東京女子高等師範学校卒[3]。長崎県立五島高等女学校、長崎女子師範学校、私立上林高等女学校、熊本県立第一高等女学校の各教諭を務める[3]。1929年に婦選獲得同盟熊本支部を結成した[3]。その後アマゾニア産業社長になり[4]、1946年の第22回衆議院議員総選挙で熊本県から無所属で立候補して当選した[5]。当選後は国民党を経て[4]、日本社会党に入った[4]。翌年の第23回衆議院議員総選挙では社会党公認で熊本1区から立候補したが落選[6]、1949年の総選挙では無所属で立候補したが落選した[6]。落選後は中央行政監査委員や通産省に勤めた[4]。1956年の参院選に熊本地方区から無所属で立候補したが落選[7]。1987年死去。
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』681頁では変体仮名で表記。
出典
- ^ a b 『新しき明日の来るを信ず』258頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』682頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』681頁。
- ^ a b c d 『新しき明日の来るを信ず』259頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』158-159頁。
- ^ a b 『朝日選挙大観』558頁。
- ^ 『朝日選挙大観』611頁。
参考文献
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。