小関藤一郎

小関 藤一郎
人物情報
生誕 (1912-01-01) 1912年1月1日
日本の旗 日本東京都
死没 2002年11月10日(2002-11-10)(90歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 社会学
研究機関 南山大学関西学院大学追手門学院大学
学位 社会学博士
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小関 藤一郎(こせき とういちろう、1912年1月1日 - 2002年11月10日[1])は、日本の社会学者。

経歴

1912年、東京で生まれた。第一高等学校文科に入学し、1931年に卒業。東京帝国大学文学部社会学科で学び、1934年に卒業。同大学大学院に進学したが、1935年に退学。戦中は外地で過ごした。

戦後

1947年、三重県社会教育課長。1950年、三重県立大学専任講師となり、社会学を担当。1952年、南山大学経済学部助教授となった。1954年に同教授昇格。1960年、関西学院大学社会学部教授に転じた。1970年から1972年には、同社会学部長を務めた。1977年、学位論文『デュルケームと近代社会』を関西学院大学に提出して社会学博士号を取得[2]。1979年、関西学院大学を退任して名誉教授となった[3]。その後は追手門学院大学教授を務めた。

受賞・栄典

研究内容・業績

専門は社会学。特にフランス社会学に通じ、エミール・デュルケームを専門とした。

著作

著書
  • 看護社会学』石泉社 1956
  • 『デュルケームと近代社会』法政大学出版局 関西学院大学研究叢書 1978
  • 『フランス工業化の社会学』行路社 1986
  • 『社会学要説:統一的視点からやさしく述べる』編著、柳原佳子・清水由文・小野能文著 川島書店 1983
翻訳
論文

外部リンク

  • 小関藤一郎教授略歴・主要論文 関西大学PDF
  • 「小関藤一郎先生退任記念号によせて」倉田和四郎 PDF

脚注

  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 小関藤一郎教授略歴・主要論文 (小関藤一郎教授記念号)「関西学院大学社会学部紀要」1979-12

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