小田 泰知(おだ やすとも)は鎌倉時代中期の武士。
常陸国守護を務めた有力御家人・小田知重の嫡男として生まれる。祖父は幕府初期の重臣だった八田知家[3]。祖父・父の跡を継いで常陸守護を務めた。泰知は寛元3年(1245年)35歳で死去したが、嫡男・時知は当時幼く、あるいは生母が宝治元年(1247年)の宝治合戦で没落した三浦氏の出身だったため、従弟の宍戸家周(国家)が守護職を継ぐことになった[5][6]。
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