小森 輝彦(こもり てるひこ、1967年(昭和42年)3月30日[1] - )は、日本のオペラ歌手、声楽家(バリトン)。日本人初のドイツ宮廷歌手。
経歴
東京都出身。東京学芸大学教育学部附属高等学校卒業。1990年(平成2年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業[2]、1992年(平成4年)同大学院音楽研究科オペラ専攻修了[2]。文化庁オペラ研修所第9期生[2]を経て、1995年(平成7年)文化庁在外芸術家派遣研究員として2年間ドイツのベルリン芸術大学に学ぶ[3]。声楽を原田茂生、勝部太、中山悌一、ハラルト・シュタム、デヴィッド・ハーパーに、ドイツリート解釈をハンス・ホッター、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、エルンスト・ヘフリガー、ギゼラ・アンドレアス、アンドラーシュ・シフ等に師事[3]。
ヨーロッパでの初舞台は1998年(平成10年)プラハ国立歌劇場における『椿姫』のジェルモン役。1998年(平成10年)に一時帰国して、ワーグナー『リエンツィ』(指揮・若杉弘、演出・栗山昌良)のオルシーニ、1999年(平成11年)にはドイツの現代作曲家ヴォルフガング・リームの『狂ってゆくレンツ(日本初演)』(新国立劇場:指揮・若杉弘、演出・実相寺昭雄)のレンツを演じた。2000年(平成12年)8月からドイツ、テューリンゲン州のアルテンブルク・ゲーラ市立歌劇場の専属第一バリトン歌手として契約し、12年間の間、劇場の看板歌手として活動した。2012年(平成24年)7月に同劇場との契約を打ち切り、2012年(平成24年)秋に日本に活動の拠点を移す。アルテンブルク・ゲーラ市立歌劇場での活動の傍ら、コットブス州立歌劇場、ハーゲン市立劇場、ツヴィッカウ市立歌劇場、ゲルリッツ市立劇場、ルードルシュタット市立劇場などにも客演した。2006年(平成18年)のザルツブルク音楽祭では祝祭大劇場でのヘンツェ作曲のオペラ『午後の曳航』首領役、2007年(平成19年)のジークフリート・マットゥス作曲のオペラ『コジマ』世界初演におけるニーチェ役、2009年(平成21年)のミラノ・トリノ9月音楽祭での細川俊夫作曲のオペラ『班女』吉雄役とヤロミール・ヴァインベルゲル作曲のオペラ『ヴァレンシュタイン』ドイツ初演におけるタイトル・ロールなど、現代音楽の重要なプロダクションで国際的な活躍をしている。
オペラ歌手としてのレパートリーは、カヴァリエ・バリトン(騎士的バリトン)からヘルデン・バリトン(英雄的バリトン)までを網羅し、演じた役は70を超える[4]。『リゴレット』、『ナブッコ』、『さまよえるオランダ人』、『ドン・ジョヴァンニ』それぞれのタイトル・ロールをはじめとして、オペレッタやミュージカルまでと幅広い。日本でも昭和音楽大学オペラ情報センターだけで47件の出演歴が記録されている[5]。
また、本場ドイツで培ったドイツ歌曲にも造詣が深く、2005年(平成17年)からは東京で毎年、ピアニスト服部容子とのデュオ・リサイタル・シリーズを展開し、テーマを定めたプログラミング、俳優の山本耕史を朗読に迎えてのブラームス歌曲集『ティークのマゲローネによるロマンス(美しきマゲローネ)』全曲演奏などを行ったほか、レコーディングも行っている。
東京音楽大学教授、東京音楽大学付属高等学校長[6]として後進の育成にも注力している。
主な受賞歴
- 2000年度(平成12年度)五島記念文化財団オペラ新人賞[2]
- 第2回藤沢オペラコンクール第2位[3]
- 第6回ルクセンブルク国際声楽コンクール奨励賞[2]
主な楽界・社会活動
主なディスコグラフィー
エピソード
2007年(平成19年)に小学館『サライ』誌の「我が家の朝食」コーナーに畑中良輔のグリーン・ジュースが掲載されたが、その始まりは小森が畑中に紹介した書籍によるものだという[10]。
脚注
出典
外部リンク