小曽根 貞松(おぞね さだまつ、1879年4月18日 - 1951年11月4日)は、日本の実業家。
来歴
小曽根喜一郎の長男として生まれる。兵庫県神戸市出身。神戸高等商業学校を卒業[2]。
神戸市会議員を経て、1918年に阪神鉄工所社長に、1927年に神戸瓦斯社長に、1940年にオリエンタルホテル社長にそれぞれ就任した[2]。
阪神電鉄では、1932年に監査役に就任し、取締役を経て、1946年10月に社長に就任した[3]。1950年4月に体調不良により、社長を辞任[4]。神戸商工会議所常議員や大阪タイガースオーナーも務めた[5]。
1932年に紺綬褒章を受章した。
脚注
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第16版 上』興信データ、1951年。
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- 松方正雄 1935.12 - 1942.3
- 小曽根貞松 1947.2 - 1948.2
- 野田誠三 1952.2 - 1974.10
- 野田忠二郎 1974.10 - 1979.2
- 田中隆造 1979.2 - 1984.10
- 久万俊二郎 1984.10 - 2004.11
- 手塚昌利 2004.11 - 2006.6
- 宮崎恒彰 2006.6 - 2008.6
- 坂井信也 2008.6 - 2018.12
- 藤原崇起 2018.12 - 2022.12
- 杉山健博 2022.12 -
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