宮嵜 雅則(みやざき まさのり、1962年〈昭和37年〉2月15日[1] - )は、日本の医師、厚生労働技官。
来歴
東京都出身[1][2]。1987年(昭和62年)3月、慶應義塾大学医学部を卒業[1]。同年4月、厚生省へ入省し、健康政策局計画課に配属[1]。
診療報酬改定などに携わり[2]、医政局医事課医師臨床研修推進室長、雇用均等・児童家庭局母子保健課長、健康局総務課生活習慣病対策室長、保険局医療課医療指導監査室長、健康局がん対策・健康増進課長、厚生労働省大臣官房厚生科学課長、保険局医療課長、厚生労働省大臣官房審議官(危機管理、科学技術・イノベーション、 国際調整、がん対策担当)、社会・援護局障害保健福祉部長などを歴任[1]。途中、内閣府や岡山県庁に出向し、食品安全委員会事務局評価課評価調整官、岡山県保健福祉部長などを務めた[1]。
2018年(平成30年)7月31日、厚生労働省大臣官房生活衛生・食品安全審議官に就任[6]。
2019年(令和元年)7月9日、厚生労働省健康局長に就任[5]。
2020年(令和2年)8月7日、国立保健医療科学院長に就任[3]。
2021年(令和3年)10月1日、退官[4]。
年譜
- 1987年(昭和62年)
- 3月 - 慶應義塾大学医学部卒業[1]
- 4月 - 厚生労働省健康政策局計画課[1]
- 4月 - 秋田県鷹巣保健所[1]
- 1989年(平成元年)4月 - 秋田県福祉保健部保健衛生課[1]
- 1990年(平成2年)4月 - 厚生省保険局医療課医療指導監査室[1]
- 1991年(平成3年)4月 - 厚生省保険局医療課[1]
- 1992年(平成4年)7月 - 厚生省保健医療局国立病院部経営指導課経営監査指導室室長補佐[1]
- 1994年(平成6年)
- 1996年(平成8年)7月 - 山口県健康福祉部健康増進課長[1]
- 1999年(平成11年)8月 - 厚生省健康政策局医事課課長補佐[1]
- 2001年(平成13年)
- 1月 - 厚生労働省医政局医事課長補佐[1]
- 4月 - 厚生労働省医政局総務課長補佐[1]
- 2002年(平成14年)8月 - 厚生労働省大臣官房厚生科学課長補佐[1]
- 2003年(平成15年)7月 - 内閣府食品安全委員会事務局評価課評価調整官[1]
- 2004年(平成16年)
- 7月 - 厚生労働省大臣官房付[1]
- 7月 - 岡山県保健福祉部長[1]
- 2006年(平成18年)
- 8月 - 厚生労働省大臣官房付[1]
- 9月 - 厚生労働省医政局医事課医師臨床研修推進室長[1]
- 2008年(平成20年)7月 - 厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課長[1]
- 2010年(平成22年)8月 - 厚生労働省健康局総務課生活習慣病対策室長[1]
- 2011年(平成23年)4月 - 厚生労働省保険局医療課医療指導監査室長[1]
- 2012年(平成24年)9月 - 厚生労働省健康局がん対策・健康増進課長[1]
- 2013年(平成25年)7月 - 厚生労働省大臣官房厚生科学課長[1]
- 2014年(平成26年)7月 - 厚生労働省保険局医療課長[1]
- 2016年(平成28年)6月 - 厚生労働省大臣官房審議官(危機管理、科学技術・イノベーション、 国際調整、がん対策担当)[1]
- 2017年(平成29年)
- 7月 - 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長[1]
- 7月 - (命)内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局審議官[1]
- 2018年(平成30年)7月 - 厚生労働省大臣官房生活衛生・食品安全審議官[6]
- 2019年(令和元年)7月 - 厚生労働省健康局長[5]
- 2020年(令和2年)8月 - 国立保健医療科学院長[3]
- 2021年(令和3年)10月 - 退官[4]
脚注