安藤 朴翁(あんどう ぼくおう)は、江戸時代前期の武士・儒学者。安藤 定為(あんどうさだため)とも。
丹波国桑田郡小口村の人物。妻は歌人の安藤亀子[1]。
京都で冷泉為景や木下勝俊に和歌を学び、伏見宮家に仕えた。子の安藤抱琴、安藤年山の『礼儀類典』編纂を助けた。元禄15年(1702年)8月23日に76歳で死去した。著作には『常陸帯』や『山家の記』がある[3]。