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大石 大(おおいし まさる、1878年(明治11年)1月28日 - 1966年(昭和41年)2月10日)は、日本の政治家。
経歴
高知県長岡郡長岡村(現南国市)に出生。小学校を3年で退学。1895年(明治28年)以降、長岡村役場書記、代用教員、裁判所書記などを経て、1903年(明治36年)に明治法律学校を卒業。1904年(明治37年)、関西法律学校に学んだ。大阪府警部などを務めた後、1912年(明治45年)から実業界に転じ、愛媛鉄道、大分国東鉄道等の重役、社長を務めた。1918年(大正7年)、政界に転じ、1920年(大正9年)5月の第14回総選挙で政友会から立候補し、衆議院議員に当選(以降、5回当選)。鉄道問題と農民問題で活躍。1941年(昭和16年)結成の翼賛会には不参加。戦後は東方会に所属していたため公職追放となり[1]、解除後は土佐農民組合を再建し農民運動に取り組んだ他、日本社会党に参加して[2]憲法援護、日中、日ソ国交回復などの民主運動に大御所として活躍した。
脚注
参考文献
外部リンク