大田原 一清(おおたわら かずきよ)は、下野大田原藩の第14代(最後)の藩主。
人物
文久元年(1861年)10月8日、第13代藩主・大田原富清の長男として生まれる。文久2年(1862年)に父が死去したため、家督を継いだ。慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では藩は新政府に恭順し、明治元年(1868年)10月21日に一清は従五位下・飛騨守に叙位・任官する。明治2年(1869年)6月、版籍奉還により大田原藩知事に任じられ、同時に戊辰戦争の功績により5000両を与えられた。版籍奉還ののち住居を移転した。明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で藩知事を免官される。慶應義塾を経て明治17年(1884年)の華族令で同年7月8日に子爵を叙爵した[1]。明治20年(1887年)12月に正五位に昇叙する。明治32年(1899年)7月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[2]、大正7年(1918年)7月9日まで在任[3]。
樋口一葉の『日用百科全書 通俗書簡文』(1896年5月刊)の巻頭には大田原一清の筆による書が掲載されている。
1923年(大正12年)5月5日に隠居した[4]。昭和5年(1930年)10月28日に死去した。享年70。
家族
父母
妻
- 森伊代子 ー 森俊滋の娘(正妻)
- 蒔田茂登子 ー 蒔田広孝の娘(継妻)
子女
- 大田原鋭清(長男)
- 大田原秀(次男)1921年に(当時35歳)停留所荒らしの常習犯として上野駅で逮捕されている
- 大田原幸子 ー 香川翠巌夫人
- 大田原錫子 ー 金光家邦夫人
- 大田原鉄男(三男)
- 大田原淑子 ー 大森貫一夫人
- 大田原鰹子
脚注
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』39-40頁。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、315頁。
参考文献
大田原氏 大田原藩14代藩主 (1862年 - 1871年) |
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