大浦 兼一(おおうら かねかず、1877年(明治10年)5月21日[1] - 1953年(昭和28年)12月14日[1][注 1])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・求[1]。
経歴
警視庁警部補であった大浦兼武の長男として生まれる[1][2][3]。官僚・政治家として功を挙げた兼武の叙爵に伴い、華族となった。大浦事件後の父の隠居に伴い、1915年(大正4年)8月13日、子爵を襲爵した[1][2]。
1918年(大正7年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[4][5]、研究会に所属して活動し[6]、1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[6]。
1935年1月14日に隠居し[1][7]、家督は長男・兼次が継承し、同年2月15日、子爵を襲爵した[1][8]。
親族
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁では昭和28年10月21日。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 『平成新修旧華族家系大成 上巻』266頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』オ79-80頁。
- ^ a b 『華族畫報 下』707頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、26頁。
- ^ 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
- ^ 『官報』第2421号、昭和10年1月30日。
- ^ 『官報』第2435号、昭和10年2月16日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。