大崎 高兼(おおさき たかかね)は、戦国時代の大名。室町幕府奥州探題。大崎氏10代当主。
略歴
9代当主・大崎義兼の長男として誕生。幼名は彦三郎。室町幕府11代将軍・足利義澄がまだ「義高」と名乗っていた頃(明応2年(1493年)~文亀2年(1502年))に元服し、偏諱(「高」の字)の授与を受けて高兼に改名する。このことから生誕したのはおおよそ1480~90年代の間のことと推測される。
享禄2年(1529年)に父が死去したため、その跡を継いで当主となる。しかし翌年、家督から僅か1年で死去した。
子は娘の梅香姫(のち大崎義宣正室)のみで跡継ぎの男子がいなかったため、弟・義直が跡を継いだ。
参考文献