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坂谷 真史(さかたに しんじ、1980年3月10日 - 2007年2月26日)は、福井県出身の元競艇選手である。登録番号は4048、養成85期。
身長166cm、体重52kg、血液型はO型である。
人物
1999年11月11日、三国競艇場でデビュー。2003年1月、新鋭王座決定戦競走にてGI初出場、2003年3月、総理大臣杯競走にてSG初出場を果たした。2007年1月に唐津競艇場で行われたGI全日本王者決定戦で優勝戦に出場し3着になるなど、福井支部期待の若手選手であった。妻の佐々木裕美も競艇選手。好きな競艇場は江戸川競艇場であった。
来歴
事故死
2007年2月26日、住之江競艇場で、大阪府都市競艇組合主催GI第50回住之江周年記念「太閤賞」競走6日目(最終日)第3レース一般戦において、5号艇6コースからの出走。2周1マーク、2号艇福島勇樹との激しい2番手争いで差しハンドルにより抜きを試みた際、6号艇山田豊との接触により転覆。事故艇を回避していた3号艇中澤和志の位置に浮上し巻き込まれた。競走後は大阪市立総合医療センターへ搬送され、集中治療室で治療を受けたが、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症により12時54分に死亡が確認された。26歳没。
2004年3月の中島康孝の死亡事故以来、競艇史上28人目の殉職となった。なお、中島も坂谷と同じく85期の選手であったため、2人連続で85期より殉職者が出た。85期はその後2022年1月12日に小林晋もこの2人と同じく競走中の事故により死亡している。
前期勝率6.98、この期も7点を越えるアベレージをマークしていた。レース中の死亡事故は少なくはないが、夫婦でボートレーサー(ボートレース界には同年時点で20組以上がいた)であったこともあり、翌日のスポーツニッポンにはレース欄でなく、社会面にこの死亡事故が載った。
戦績
- 出走回数:1376回
- 1着回数:394回
- 優出回数:49回
- 優勝回数:14回
- フライング(F)回数:10回
- 出遅れ(L)回数:1回
- 通算勝率:6.21
- 2連対率:47.53
- 3連対率:61.63
- 生涯獲得賞金:158,107,620円
関連項目
外部リンク