坂上 又子(さかのうえ の またこ、? - 延暦9年7月21日(790年9月4日))は、奈良時代の女官。名は全子とも[1]。桓武天皇の後宮に入り、高津内親王を生んだ。官位は正五位上。
生涯
坂上苅田麻呂の娘で、田村麻呂は兄弟にあたる。桓武天皇が皇太子だった頃に入侍し[2]、即位後の延暦2年(783年)に従五位下に叙せられた[3]。その後の延暦5年(786年)には正五位上に昇叙し[4]、後宮では高津内親王(のちの嵯峨天皇妃)を儲けた。延暦9年(790年)死去[2]。
脚注
- ^ 『一代要記』による。なお、同書では又子の官位を従五位下としている。
- ^ a b 『続日本紀』延暦9年(790年)七月乙酉条
- ^ 『続日本紀』延暦2年(783年)二月壬子条
- ^ 『続日本紀』延暦5年(786年)正月乙巳条
参考文献