吉良 義元(きら よしもと、生没年不詳)は、戦国時代の武将。吉良義信の嫡男(弟説もある)。通称は三郎、治部少輔、左兵衛佐。子は吉良義堯。
永正元年(1504年)頃に元服する。家督を継承することなく、永正13年(1516年)以前に早世したらしく[1]、同年10月4日に義信は孫である珍王丸(義堯)に家督を譲っている。
法名は少林寺殿月厳源光大居士。
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