台北市立中山女子高級中学Taipei Municipal Zhong Shan Girls High School
概要 通称
中山女中 住所
台湾 台北市 中山区 長安東路二段141号 分類
市立 高級中学 構成
高中部 設立年
1897年 校訓
誠、篤、敏、慧 職員・生徒 校長
楊世瑞 教師数
211人 生徒数
高中部2,905人 (2007年8月30日) テンプレートを表示
台北市立中山女子高級中学 (ちゅうざん/ヂョンシャンこうきゅうちゅうがく、ピンイン :Zhōngshān 、注音 : ㄓㄨㄥˉㄕㄢˉ 、Taipei Municipal Zhong Shan Girls High School )は、台湾 台北市 中山区 にある全日制女子高。前身は1897年に設置された「台湾総督国語学校 第一附属学校女子分教場」まで遡ることができ、台湾女子教育の嚆矢である。日本の女学校時代の伝統を継承し、現在でも台湾屈指の女子教育機関として地位を獲得している。
制服にも特徴がある。学生は白いブラウス姿より「白衣」と俗称され、また女学校時代からの伝統の肩掛け式の通学カバンも有名であり、2004年に廃止が検討された際には台湾のニュースで取り上げられるなどの社会現象を引き起こしている。
大倉三郎 が設計した戦前の校舎は1997年に直轄市定古蹟に[ 1] 、修澤蘭 (中国語版 ) が設計した戦後の校門と大講堂も2022年に市の歴史建築に登録された[ 2] 。
中山女子高級中学校門・大講堂 中華民国 文化資産校門
登録名称 中山女子高級中學校門、大禮堂 種類 学校 等級 歴史建築 文化資産登録 公告時期 2022年3月31日 建設年代 校門:1963年落成 大講堂:1972年落成 詳細登録資料
沿革
年
月日
事跡
1897年
4月
「台湾総督国語学校 第一附属学校女子分教場」として士林陳紅九宅に於いて開校 甲組年長班1クラス、乙組年幼班一クラス、学生数37人でスタート
1898年
10月1日
「台湾総督府国語学校第三附属学校」と改称 通称「士林女学校」として台湾唯一の女子教育機関となる
1902年
-
「台湾総督府国語学校第二附属学校」と改称
1909年
-
艋舺公学校へ移転
1910年
-
「台湾総督府国語学校附属女学校」と改称
1919年
-
「台湾公立台北女子高等普通学校」と改称 内江街へ移転
1920年
-
「台湾公立台北女子高等普通学校」と改称
1921年
-
「台北州立台北女子高等普通学校」と改称
1922年
-
「台北州立台北第三高等女学校」と改称
1945年
12月8日
「台湾省立台北第二女子中学」と改称
1967年
-
「台北市立中山女子高級中学」と改称
2005年
-
大阪府立住吉高等学校 と姉妹校となる
組織
大阪府立住吉高等学校 と姉妹校の提携をしている。
12月には、大阪府立住吉高等学校から2年生が中山女子高級中学へスタディーツアーと称して学校訪問し、授業を受けたり放課後には生徒同士で台北市内散策するのが毎年恒例となっている。
また、2月には中山女子高級中学の生徒が大阪府立住吉高等学校へ学校訪問し、交流し大阪市内散策をする。
歴代校長
区分
代
氏名
任期
女子文教
初代
高木平太郎
1897年~1898年
国学附属
第2代
町田則文
1898年~1907年
国学附属 附属女学校
第3代 第4代
本荘
1908年~1909年 1910年~1918年
女子高等 第三女学
第5代 第6代
田川辰一
1919年~1922年 1922年~1924年
第三女学
第7代
小野正雄
1925年~1939年
第三女学
第8代
藤谷芳太郎
1940年~
省立女中 北二女中
第9代 第10代
鄭英励
1945年 1946年~1949年
北二女中
第11代
王亜権
1950年~1956年
北二女中 中山女中
第12代 第13代
石季玉
1957年~1966年 1967年~1974年
中山女中
第14代
張叔南
1975年~1978年
中山女中
第15代
呂少卿
1979年~1986年
中山女中
第16代
梁素霞
1987年~1992年
中山女中
第17代
陳富貴
1993年~1995年
中山女中
第18代
林煇
1996年~1998年
中山女中
第19代
丁亜雯
1999年~2006年
中山女中
第20代
黃郁宜
2006年~2010年
中山女中
第21代
楊世瑞
2010年~
現今校歌
我們是國家的好青年
新時代的任務在擔當
建設自由的國家和大同的世界
養成科學的頭腦和仁愛的心腸
窮搜乎學術之淵藪
偕行乎道義之康莊
我們的第二家庭
就是這台北中山女高
幾年師生的生活
永遠不會遺忘
我們歡呼 我們高唱
要團結努力 把中山女中
放出閃閃的豪光
出身有名人
台北第三高女
北二女中·中山女高
脚注
外部リンク