原田 宇一郎(はらだ ういちろう、1890年(明治23年)10月16日 - 1973年(昭和48年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
滋賀県出身。原田宇之助の長男として生れる。膳所中学校卒業後、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第66連隊付となる。1919年(大正8年)11月から翌年10月まで、シベリア出兵に出征。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を優等で卒業し歩兵第15連隊中隊長に就任した。
1926年(大正15年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員を経て、1928年(昭和3年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第61連隊付となる。1929年(昭和4年)12月、イギリス駐在となり、歩兵第45連隊付を経て、1932年(昭和7年)8月、歩兵中佐に進級。1933年(昭和8年)3月、陸大教官に発令された。1935年(昭和10年)8月、兵科を航空兵科に転じ航空兵中佐となり、同年12月、浜松陸軍飛行学校研究部主事に就任。1936年(昭和11年)8月、航空兵大佐に昇進した。1937年(昭和12年)9月、第4飛行団司令部員となり、飛行第12連隊長、飛行第12戦隊長を歴任し、1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に進級し陸軍航空士官学校幹事に就任した。
1940年(昭和15年)12月、白城子陸軍飛行学校付となり、同校教導飛行団長、同校長を経て1942年(昭和17年)3月、独立第20飛行団長に移り、同年8月、陸軍中将に進んだ。1943年(昭和18年)1月、第1飛行師団長に親補され、第2航空軍司令官として満州新京で終戦を迎えた。その後、シベリア抑留となり、1956年(昭和31年)12月に帰国した。
親族
栄典
脚注
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- * 防衛庁防衛研修所戦史室『満洲方面陸軍航空作戦』朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1972年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。