水上機母艦時代の千代田
千代田(ちよだ)は、日本海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の二番艦として建造され、後に甲標的母艦に改装される。1943年には航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。
艦名
艦名の千代田は、江戸城、後の皇居の美称で[21]、この名の艦としては明治初期の千代田形、明治中期の巡洋艦「千代田」に続いて3代目となる[21]。戦後は海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」に引き継がれた[21]。
特徴
1940年5月より甲標的母艦に改造された[22]。艦内の格納庫を甲標的用に改装し甲標的12基を搭載、艦尾にスリップを設け、そこから発進できるようにした[23]。また、艦橋トップに甲標的指揮塔を増設した[24]。しかし、水上機搭載数は12機に減少、射出機も2基となり、補給用重油も1,000トンに減少した[25]。
マストはメインマスト、無線マスト共に3脚トラス構造、メインマストのトップはV字形状をしていて、同型艦「千歳」との違いを見せている[26]。
最終時の兵装は、あ号作戦後には25mm単装機銃30丁を装備とされる[17]。13号電探1基もあ号作戦後に装備[17]、右舷2本目のマストに設置した[27]。
搭載機
- 水上機母艦
計画では九五式水上偵察機24機、補用4機であったが[25]、中国進出時には九四式水上偵察機も合わせて9機搭載といわれる[28]。1940年4月撮影と推定される写真でも九五水偵と九四式二号水偵の搭載が確認できる[29]。
1942年には零式水上偵察機を搭載。尾翼マーキングは同年7-12月まで「V1」で、文字色は白[30]。
- 航空母艦
計画では零式艦上戦闘機21機(うち7機を露天繋止[31])、九七式艦上攻撃機9機であった[9]。
レイテ沖海戦時には戦闘機、戦闘爆撃機として零式艦戦を搭載。攻撃機は九七艦攻だった[32]。尾翼マーキングは1944年春の時点で三航戦2番艦であることを示す[33]「32」(2は小文字)、マリアナ沖海戦からは航空隊名の「653」を使用、レイテ沖海戦時には垂直尾翼上端に「3」も記入された[32]。文字色はいずれも白[32]。
艦歴
1938年12月15日、水上機母艦として竣工。同型の「千歳」と異なり、水上機母艦としての役割に加えて甲標的(特殊潜航艇)母艦としても使用できるように設計・建造された。艦内に合計12隻の甲標的を搭載可能であり、その場合でも12機の水上機を搭載可能になっている。また、航行中に艦尾両舷の滑り台より甲標的を発進できるという構造となっていた。
1942年6月、ミッドウェー攻略のために進出したが、ミッドウェー海戦の敗北を受け中止となる。6月28日から「あるぜんちな丸」とともにキスカ島への輸送に従事[34]。「千代田」は水上戦闘機6機、特殊潜航艇6基、セメント約200トンを輸送した[35]。2隻は駆逐艦「霰」、「霞」、「不知火」とともに6月28日に横須賀を出航し、7月5日にキスカ港に入港[36]。「千代田」は7月12日にキスカを離れ、19日に柱島泊地に帰着した[35]。
1942年6月30日、ミッドウェー海戦で4隻の正規空母を失った日本海軍は空母不足を解消するため「千代田」を空母に改装することを決定した。1943年2月1日、改造を開始し、12月1日に完成した。
1943年12月15日に内令第2708号で艦艇類別等級表が改正され、「軍艦、航空母艦瑞鳳型ノ項中「龍鳳」ノ下ニ「、千歳、千代田」ヲ、同大鷹型ノ項中「冲鷹」ノ下二「、神鷹」を加フ 同水上機母艦ノ部中「、千歳、千代田」ヲ削ル 駆逐艦、一等初雪型ノ項中「、夕霧」ヲ削ル」と発令され、千歳、千代田は瑞鳳型航空母艦に加わった[37]。空母改造後は第三航空戦隊に所属し船団護衛に従事した。1944年6月、マリアナ沖海戦に参加する。
1944年10月25日、「千代田」は姉妹艦の「千歳」とともにレイテ沖海戦に参加。アメリカ海軍空母部隊の艦載機による攻撃で航行不能となり、艦隊から落伍した。「千代田」はアメリカ海軍第38任務部隊から分派され追撃してきたデュポーズ隊(重巡洋艦「ウィチタ」、「ニューオーリンズ」、軽巡洋艦「サンタフェ」、「モービル」ほか)に捕捉、攻撃され、16時55分に左に転覆した後沈没した。艦長の城英一郎大佐以下、総員が戦死した。
12月20日、除籍。
艦長
- 艤装員長
- 水井静治大佐:1937年11月19日[38] - 1938年9月10日[39]
- 艦長
- 水井静治大佐:1938年9月10日 - 1938年12月15日[40]
- 加来止男大佐:1938年12月15日 - 1939年11月15日[40]
- 横井忠雄大佐:1939年11月15日 - 1940年8月20日[40]
- 原田覚大佐/少将:1940年8月20日 - 1943年1月9日[40]
- 別府明朋大佐[41][42]:1943年1月9日[41] - 1944年2月15日[42]
- 城英一郎大佐:1944年2月15日 - 1944年10月25日 - 戦死。海軍少将に特進。[40]
同型艦
- 千歳型水上機母艦
- 瑞鳳型航空母艦
年表
同名艦
脚注
注釈
- ^ #日本航空母艦史p.88などは5.71mとする
- ^ その他、785名(阿部安雄「日本海軍航空母艦・水上機母艦要目表」#日本空母物語pp.442-443、#日本航空母艦史p.88)や967名(#海軍造船技術概要p.296、#写真日本の軍艦第4巻p.92)とする文献もある
- ^ #昭和造船史1pp.780-781の表では「千歳」に爆弾、魚雷の搭載量は記入されているが、「千代田」の欄は空白になっている
- ^ #写真日本の軍艦第4巻p.92では機銃(口径X基数)で「25III X 37」となっているが何らかの間違いと思われる
出典
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C12070182800『昭和18年11月~12月 内令5巻/昭和18年12月(3)』。
- Ref.C12070526200『昭和19年10月26日 昭和20年8月16日 軍極秘海軍公報/昭和19年12月』。
- Ref.C13071975200『昭和12年12月1日現在 10版 内令提要追録第3号原稿/巻3 追録/第13類 艦船』。
- Ref.C13071982300『昭和14年6月1日現在 10版 内令提要追録第5号原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
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- 『日本航空母艦史』 世界の艦船 2011年1月号増刊 第736集(増刊第95集)、海人社、2010年12月。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
- (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』(第3刷)グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)。ISBN 4-87687-184-1。
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- 畑中省吾「日本の軽空母考」『艦船模型スペシャル』No.56、モデルアート社、2015年6月、66-80頁。
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- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7。
- 『日本の航空母艦パーフェクトガイド』 〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ 特別編集、学習研究社、2003年4月。ISBN 4-05-603055-3。
- 『官報』
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社