十時 一郎(ととき いちろう、1843年(天保14年11月[1])- 1904年(明治37年)12月24日[1])は、幕末の柳河藩士、明治期の日本の政治家。衆議院議員。
経歴
元治元年(1864年)長崎で砲術練兵を学び、帰藩後、藩命により薩摩、京都などを遊歴[1][2]。その後、藩校伝習館学監、物頭格、中老役兼千別丸船将などを歴任[1]。戊辰戦争では小荷駄奉行兼参謀長として奥州の役に従軍[1][2][3]。明治2年(1869年)帰藩し参政に就任[1][2]。さらに権大参事、権参事を歴任[1]。明治4年11月(1871年)額田県権参事に発令されたが病を理由に辞した[1][2][3]。
1879年、福岡県会議員に当選し、同副議長を務めた[1][2][3][4]。その他、山門郡長兼三池郡長、第九十六国立銀行取締役、同頭取[5]などを歴任[1]。
九州同志会に加わり自由民権運動を進め[2]、1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に福岡県第五区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属[1]。衆議院議員を一期務めた[1]。
また、旧藩主立花家の相談人、家政会議議員を務めた[6]。
親族
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。
- 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
- 内山一幸『明治期の旧藩主家と社会:華士族と地方の近代化』吉川弘文館、2015年。