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この項目では、1973年に滝川市に移管された公立高校について説明しています。1950-54年に同名の「北海道滝川西高等学校」を称した高校については「北海道滝川工業高等学校」をご覧ください。 |
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北海道滝川西高等学校(ほっかいどうたきかわにしこうとうがっこう、英称:Hokkaido Takikawa Nishi High School)は、北海道滝川市にある公立(市立)の高等学校。1959年に開校した学校法人今野学園 滝川商業高等学校を前身とする。
沿革
学校法人 今野学園 滝川商業高等学校
1946年に開校した「滝川洋裁学院」を発展させ1952年に財団法人となった「滝川ドレスメーカー高等女学院」を母体として学校法人「今野学園」を発足、その後1958年に滝川市が市制施行を果たし経済・文化面で中空知の中心となる中で地方産業や教育文化の向上を目的とした商業高校の必要性から本校を発足させた[1]。
- 1953年11月 - 学校法人今野学園設立[1]。
- 1958年8月 - 滝川商業高等学校設立準備室開設、校舎第一期(1283平米)完成[1]。
- 1959年
- 1月19日 - 学校法人 今野学園 滝川商業高等学校の設立が認可される[2]。
- 4月1日 - 学校法人 今野学園 滝川商業高等学校が開校[2]。
- 10月 - 初代体育館を含む校舎第二期工事(1583平米)完成[1]。
- 1963年
- 3月 - 校舎第三期工事(1926平米)完成[1]。
- 5月 - 校舎第四期実践室工事(608平米)完成[1]。
- 1964年12月 - 新体育館・地下野球練習場(1754平米)完成[1]。
- 1969年9月15日 - 時計台・天文台を備えた特別教室棟(2675平米)完成[1]。
- 1972年
- 8月30日 - 滝川市に滝川商業高等学校の市営移管を陳情[1]。
- 11月15日 - 滝川市議会において滝川市立学校管理条例の一部を改正し、北海道滝川西高等学校の設置を議決[2]。
- 1973年
- 1月18日 - 道教委48教官第1004号司令をもって、北海道滝川西高等学校の設置が認可される[2]。
- 3月31日 - 学校法人 今野学園 滝川商業高等学校が閉校となり、滝川市へ移管[2]。
北海道滝川西高等学校
1970年頃より空知管内の炭鉱閉山や減反政策による離農を背景に入学希望者が減少し1972年に募集定員を割り込み学園の長期的な経営が困難になると判断、市営移管または本州の有名大学の付属高校化の対応策を検討し、その後滝川市営への移管となった[1]。改称にあたってはかつて滝川西高等学校の名称だった道立の北海道滝川工業高等学校の卒業生を中心に反対の声もあったが当時の吉岡清栄滝川市長が「必ず名門校の西高に遜色ないよう最善の努力を約束する」と説得して合意に達している[3]。また校歌は滝川商業高校時代のものを引き継いだ[4]。
教育課程
部活動
著名な出身者
その他
脚注
関連項目
外部リンク