労 乃宣(ろう だいせん/ろう ないせん)は、清末民初の文学者。字は季瑄、号は玉初または矩斎、晩号は韌叟。
経歴
同治7年(1868年)に進士となる。光緒5年(1879年)以降、臨楡・南皮・完県・呉橋等の知県となる。直隷省の地方官を務めていたが、義和団に反感を持ち、鎮圧を主張した。『義和拳教門源流考』を著し、義和団の起源は白蓮教であると主張したが、この説は後世の歴史学者からは疑問を持たれている。
1911年、京師大学堂(北京大学の前身)総教習となった。清朝滅亡後は遺老となり、康有為らとともに張勲復辟を擁護した。
研究内容・業績
音韻学者としては表音文字の導入を推進した。著書に『等韻一得』がある。
またドイツ人宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムが『易経』をドイツ語に翻訳するのに協力した。
家族・親族
著書・著作
脚注