劉溶根

劉 溶根(ユ・ヨングン、朝鮮語: 유용근1940年12月29日 - )は、大韓民国政治家。第10・11代大韓民国国会議員[1]。第12期民主平和統一諮問会議副議長。

本貫江陵劉氏松亭(ソンジョン、송정)。キリスト教徒[1]

経歴

1940年12月29日、日本統治時代の朝鮮京畿道華城に生まれた。建国大学校経済科を卒業後、高麗大学校経営大学院とソウル大学校行政大学院を修了した。1978年12月12日に実施された第10代総選挙新民党の公認で立候補して当選し、国会議員となった。また1981年3月25日に実施された第11代総選挙においては民主韓国党から立候補して当選し、再び国会議員を務めた。他に韓国4Hクラブ連合会長、国際市民奉仕会韓国本部副総裁、学校法人ペイン学園理事長、ライオンズクラブ309-G地域副総裁、韓国農漁村問題研究所理事長、新社会国民運動本部常任議長、韓国環境ヌルプルンスプ保有運動連盟副総裁、大韓民国憲政会京畿道支会長、白凡精神実践同盟共同代表、韓国BBS京畿道連盟会長、国家正常化国民総和連帯共同代表を歴任した[1]

2018年1月25日、韓半島統一指導者総連合の第2代総裁に就任した。2021年1月12日、企業2社の代表とともに水原市庁を訪れ、同市に対しマスク10万枚を寄付した[2][3]

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年3月9日閲覧。
  2. ^ 유용근 전 국회의원·(주)다담에스비·(주)글라스원, 수원시에 마스크 10만매 전달” (朝鮮語). 열린뉴스통신 (2021年1月12日). 2022年3月9日閲覧。
  3. ^ 유용근 전 국회의원·다담에스디·글라스원, 수원시에 마스크 10만매 기부” (朝鮮語). 뉴스웍스 (2021年1月13日). 2022年3月9日閲覧。

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