前野義康

 
前野義康
時代 戦国時代安土桃山時代江戸時代
生誕 享禄3年(1530年
死没 慶長14年4月8日(1609年
別名 通称:喜左衛門
主君 織田信雄前野長康
氏族 良岑氏流前野氏、野田前野氏
父母 父:前野義高
母:岩田氏
兄弟 前野長右衛門前野義康前野義詮前野則義岩田五左衛門土方信治[1]
前野清助
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前野 義康(まえの よしやす、享禄3年(1530年) - 慶長14年(1609年))は、戦国時代/安土桃山時代から江戸時代までの武将。通称:喜左衛門


人物

義康は、尾張国土豪前野家前野義高の次男に享禄3年(1530年)に生まれる[1]前野喜左衛門義康を名乗った。織田信雄に仕え、信雄家老で従兄弟小坂雄吉奉行役となる。小牧・長久手の戦いの際には、織田・徳川連合軍側について最前線である五丁堀砦を手勢300名で守る。この砦には五丁(約545m)のがあった為この名がついたとされている。五丁堀砦は前野村八屋敷のすぐ北に隣接していた。

氏族

前野氏は、桓武天皇皇子良岑安世を始祖とする良岑氏の系統で、良岑高成(立木田高成)の子である前野高長が尾張国丹羽郡前野村(現在の愛知県江南市前野町〜大口町辺り)に移り住んで前野を自称し、その曽孫である前野時綱が正式に名乗ったのが始まりとされている[2]

脚注

  1. ^ a b 前野家古文書『武功夜話
  2. ^ 尊卑分脈および良岑氏系図

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