函館太洋倶楽部(はこだてオーシャンくらぶ)は、北海道函館市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球のクラブチームである。
概要
チーム結成は1907年であり[1]、現存するクラブチームの中で最も長い歴史を持つ。戦前や戦後直後の都市対抗野球大会はまさに都市ごとのクラブチームのトーナメントであったことから、函館太洋倶楽部も14回の出場歴を有する。
函館は海に囲まれた港町であり、海原のごとく首途洋々としたチームであれとの願いから太洋と記してオーシャン(OCEAN)と命名された[1]。
練習グラウンドとして使用している、函館市内にある千代台公園野球場は、同チームに因んで「オーシャンスタジアム」という愛称が付与されている。
1922年、後の日米野球で全日本チームの主将を務めることになる名捕手の久慈次郎が入団する。チームの大黒柱として活躍していたが、1939年8月19日の試合中に牽制球を頭部に受け、2日後に死亡する[1]。棺を乗せた列車は、停車駅ごとで熱烈な野球ファンに見送られたと言われている。1947年の都市対抗野球大会から、彼の名を冠し敢闘賞として「久慈賞」が設けられた[1]。
2006年にはチーム創設100周年にあたることから、全日本クラブ野球選手権大会への推薦出場を果たした。
設立・沿革
主要大会の出場歴・最高成績
在籍していた人物
元プロ野球選手の競技者登録
脚注
関連項目
外部リンク