佐藤 緑葉(さとう りょくよう、1886年7月1日 - 1960年9月2日)は、日本のジャーナリスト、小説家、翻訳家。本名は佐藤 利吉(さとう りきち)。
経歴
群馬県吾妻郡東村生まれ。
中之条農学校(現・群馬県立吾妻中央高等学校)から早稲田大学に進学。同級生の若山牧水や土岐善麿、安成貞雄らと回覧雑誌「北斗」を作っていた。
1909年に早稲田大学文学部英文学科を卒業後、万朝報に入社、英文欄を担当。1910年の一時期、親友の牧水に頼まれて「創作」の編集を手伝う[1]。1914年、「近代思想」にウィルヘルム・ラムスウスの反戦文学『人間屠殺所』の翻訳を発表。1921年、長篇小説「黎明」を発表。法政大学の教員となり創作の筆を絶つ。
1937年、妻と死別、1940年、教え子・石川桂と再婚。
戦後の1946年に東洋大学教授に就任。1947年、「高原」3号に「山国の冬」を発表。1958年大学退職。妻と離別し、生活苦から高尾山麓の旅宿で服毒自殺。
著作
- 『二宮尊徳翁 教訓道話』(編、岡村書店) 1908
- 『嗚呼伊藤博文公』(編、至誠館) 1909
- 『新食道楽』(明治堂) 1909
- 『都会生活朗吟集』(編、富里昇進堂) 1909
- 『中江藤樹 家庭訓話』(岡村書店) 1909
- 『孝女芳江 家庭小説』(日吉堂) 1911
- 『ポケット忠孝百話』(編、日吉堂) 1911
- 『塑造』(春陽堂、現代文芸叢書) 1914
- 『黎明』(新潮社) 1921
- 『若山牧水』(佐藤利吉名義、興風館) 1947、のち角川文庫 1956
翻訳
伝記
- 『佐藤緑葉の文学 - 上州近代の作家』(伊藤信吉、塙新書) 1999
脚注
外部リンク