伊達 尚宗(だて ひさむね)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武士。官位は従五位下・大膳大夫。伊達氏13代当主。伊達政宗の高祖父。
生涯
12代当主・伊達成宗の嫡男。家の慣例により、室町幕府9代将軍・足利義尚より偏諱の授与を受けて尚宗と名乗る。
父から家督を相続した年代は詳しく分かっていない。これは、父の成宗が死没した年が詳しく分かっていないからである(伊達氏の史書では、長享元年(1487年)説が有力なので、その前後に継承したと思われる)。
越後守護上杉氏から正室(伊達氏の記録では上杉定実の娘とされるが、上杉氏の記録では上杉房定、異説ではその弟である上杉房実の娘(定実の姉妹))を迎える[1]。
延徳2年(1490年)、米沢城北方に位置する塩野毘沙門堂を再建している。
明応3年(1494年)4月、伊達氏の領内で騒乱が発生したため、一時的に会津の蘆名盛高の下に避難した。復帰後は京都の放浪将軍・足利義澄を領内に迎え、これを擁護することで伊達氏の勢力を盛り上げようとしたが、失敗した。
永正11年(1514年)5月5日、62歳で死去。嫡男・伊達高宗(3年後「稙宗」に改名)が跡を継いだ。
系譜
脚注
- ^ 長谷川伸「南奥羽地域における守護・国人の同盟関係-越後上杉氏と伊達氏の場合-」『地方史研究』254号(1995年)および「越後天文の乱と伊達稙宗-伊達時宗丸入嗣問題をめぐる南奥羽地域の戦国期諸権力」『国史学』第161号(1995年)
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平安末〜鎌倉時代 | |
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南北朝〜室町時代 | |
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