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この項目では、実業家について説明しています。村長経験のある政治家については「古城村 (岩手県)」をご覧ください。 |
伊藤 庸夫(いとう つねお[1]、1941年[1] - )は、東京都出身の実業家。TM ITO Ltd.代表取締役。主にスポーツにおけるマネージメントやコンサルティング業務を行っている。
来歴
東京都生まれ。中学までは東京の学校で過ごしている[2]。また中学からサッカーを始める[3]。
高校は埼玉県立浦和高等学校へ進学する。所属したサッカー部では福原黎三に指導を受けフォワード(ウイング)として活躍、犬飼基昭、竹嶋住夫(日立/JFA海外国際委員)、松本光弘(筑波大学名誉教授/サッカー部監督)らとプレーした[2][4]。
大学は京都大学法学部へ進み、京都大学蹴球部でプレーした[2][3]。
1966年、大学を卒業し、三菱重工業へ入社。三菱重工業サッカー部にはFWとして2年間在籍した[3]。
以降は三菱重工での社業に専念し、1980年に三菱重工ロンドン事務所に転勤する[3]。後に東芝インターナショナル・ヨーロッパ社に転職、その後退職し1989年ロンドンで個人会社TM ITO Ltd.を立ち上げスポーツマネージメントおよびコンサルタント業務に関わる[2][3]。またロンドンに移り住んだ1980年から日本サッカー協会国際委員として長く活躍し、1990年代初頭にはJリーグ創設に向けたプロジェクトに参加している[2]。
1994年、帰国しJリーグ・サンフレッチェ広島強化部長(国際担当部長[5]、
GM業務全般は今西和男が担当)に就任する[2][3]。同年には1stステージ優勝を経験している。1996年に退団、以降は2002 FIFAワールドカップ招致プロジェクトに参加している[2][3]。
2004年から2006年までびわこ成蹊スポーツ大学で教授として教壇に立つ[2]。
2007年、佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCの合併によりSAGAWA SHIGA FCが創部されると、そのGMに就任する[2]。3年間でJFL2度の優勝を飾っているが、2008年シーズンは監督人事をめぐり低迷している。2008年JFL評議会議長。
略歴
以下、2009年以降に公開している略歴を示す[1]。
個人成績
脚注
関連項目