伊藤 君子(いとう きみこ、1946年7月11日[1] - )は、ジャズシンガー。香川県小豆島町生まれ。武蔵野美術大学油絵科卒業。
来歴
4歳のとき、ラジオ番組から流れる美空ひばりの歌声に魅了され、歌手を志す。19歳の時に上京後、武蔵野美術大学油絵科を卒業。その後アニメ制作会社に入社。「オバケのQ太郎」や「リボンの騎士」等の作品の下請けでトレースや色塗り等を行っていた。会社の専務の知り合いのハワイアンバンドに加入後、1969年、中原マキの芸名でポップ演歌歌手としてシングル「幸わせにふるえて」でデビューする。5枚ほどシングルを発売し、その後ジャズピアニストとの出会いをきっかけに、ジャズシンガーの道へ進み、1982年、アルバム『BIRDLAND』で伊藤君子として再デビュー。1984年4月より半年間ニューヨークに滞在しクラブ「サットンズ」に出演した[2]。
1987年にエディ・ゴメス『Power Play』(EPIC/SONY)の録音に参加した。1989年、日米同時リリースされたアルバム『Follow Me』が米ラジオ&レコード誌のコンテンポラリー・ジャズ部門の16位にチャート・イン(日本人女性歌手で初)[2]。
2004年、押井守監督の映画『イノセンス』主題歌を歌い話題となる。
音楽
- アルバム
- 1982年 『バードランド (THE BIRDLAND)』
- 1986年 『ア・タッチ・オブ・ラブ (A TOUCH OF LOVE)』
- 1989年 『フォロー・ミー (FOLLOW ME)』
- 1993年 『STANDARDS MY WAY』
- 2000年 『KIMIKO』
- 2004年 『一度恋をしたら (Once You’ve Been In Love)』
- 2007年 『JAZZDAGA?JAZZDAJA!』(津軽弁のジャズ)インディーズ発売
- シングル
- 1989年発表の同名曲を川井憲次が編曲したもので、映画『イノセンス』の主題歌に使用された。原曲はデミス・ルソスが1982年に発表したシングル曲で、ロドリーゴ作曲のアランフエス協奏曲第2楽章にハーバート・クレッツマーとハル・シェイパーによる歌詞を付けたもの。
- ミュージッククリップ
賞歴
脚注
出典
外部リンク