伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日[1] - 2024年5月7日)は、日本の政治家。元沖縄県平良市長(3期)、元宮古島市長(1期)。
略歴
1933年、当時、父が教員として赴任していた沖縄県宮古郡多良間村(多良間島)で生まれる。多良間島で4歳まで過ごした後、父の転勤により伊良部町字佐和田(現宮古島市伊良部佐和田)、次いで小学1年生時に平良町(現宮古島市平良)に移り、1941年には台湾に移り住んだ[2]。
岡山大学医学部卒。琉球政府立宮古南静園園長、沖縄県宮古保健所所長、沖縄県立宮古病院院長などを経て、1964年に伊志嶺医院を開業[1]。
1994年に平良市長に初当選。以後、3期にわたって平良市長を務める[1]。
2005年11月13日に市町村合併に伴って行われた宮古島市長選挙に、沖縄社会大衆党、社会民主党、共産党、民主党、自由連合の推薦を受けて、革新統一候補として出馬。413票の僅差で下地敏彦を破って当選した[1]。
その後、市職員による一連の不祥事の責任を取って、2008年12月31日付で辞職[3]。2009年1月25日に行われた宮古島市長選挙では、自由民主党及び公明党の推薦を受けた下地敏彦が当選した[4]。
2024年5月7日、老衰のため宮古島市の福祉施設で死去。91歳没[5]。
脚注
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米軍施政下 |
- 嵩原重夫1947.3.7-1948.3
- 下地敏之1948.3.17-1949.10.5
- 石原雅太郎1949.11.21-1957.11.20
- 嵩原恵典1957.11.21-1959.8.1
- 富永寛1959.9.20-1963.9.19
- 真栄城徳松1963.9.20-1969.4.8
- 平良重信1969.5.18-1972
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公選 |
- 平良重信1972-1978.6.23
- 盛島明秀1978.7.23-1982.7.22
- 伊波幸夫1982.7.23-1986.7.22
- 下地米一1986.7.23-1994.7.22
- 伊志嶺亮1994.7.23-2005.9.30(廃止)
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カテゴリ |
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2005年10月1日合併 |
平良市長 |
米軍施政下 |
- 嵩原重夫1947.3.7-1948.3
- 下地敏之1948.3.17-1949.10.5
- 石原雅太郎1949.11.21-1957.11.20
- 嵩原恵典1957.11.21-1959.8.1
- 富永寛1959.9.20-1963.9.19
- 真栄城徳松1963.9.20-1969.4.8
- 平良重信1969.5.18-1972
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公選 |
- 平良重信1972-1978.6.23
- 盛島明秀1978.7.23-1982.7.22
- 伊波幸夫1982.7.23-1986.7.22
- 下地米一1986.7.23-1994.7.22
- 伊志嶺亮1994.7.23-2005.9.30
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合併後 |
- 伊志嶺亮2005.11.13-2008.12.31
- 下地敏彦2009.1.25-2021.1.24
- 座喜味一幸2021.1.25-
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カテゴリ |