五百籏頭 眞 (いおきべ まこと、1943年 〈昭和 18年〉12月16日 - 2024年 〈令和 6年〉3月6日 [1] )は、日本 の政治学者 、歴史学者 (日本政治外交史)。国際問題評論家。位階は従三位 、勲章は瑞宝大綬章 [2] 。
学位 は法学博士 (京都大学 ・1987年 )。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。
公益財団法人 ひょうご震災記念21世紀研究機構 理事長、前兵庫県公立大学法人 理事長 、神戸大学 名誉教授 、防衛大学校 名誉教授、熊本県立大学 特別栄誉教授 、文化功労者 。
姓 の「籏」は「旗」の異体字 、名 の「眞」は「真」の旧字体 であるため、五百籏頭 真 、五百旗頭 眞 、五百旗頭 真 とも表記される。
人物
広島大学 政経学部 助教授 、広島大学法学部 助教授、神戸大学法学部 教授 、防衛大学校長 (第8代)、公立大学法人 熊本県立大学 理事長(第2代)、兵庫県公立大学法人 理事長(第3代)などを歴任した。日本政治学会 理事長、日本学術会議 会員、公益財団法人国際文化会館 評議員、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。
サントリー学芸賞 、吉田茂賞 、吉野作造賞 などを受賞。
2011年 (平成 23年)4月に創設された東日本大震災復興構想会議 議長を務め、次いで2012年 (平成24年)2月に創設された復興推進委員会 委員長を2013年 (平成25年)3月まで務める。
経歴
生い立ち
兵庫県 西宮市 の苦楽園口駅 の近くで神戸大学教授・五百籏頭眞治郎 の5男(8人兄弟の6番目)として生まれる。1962年 (昭和37年)六甲高等学校 、1967年 (昭和42年)京都大学法学部 卒業。1969年 (昭和44年)同大学院法学研究科修士課程修了。学部・大学院を通じて猪木正道 に師事。猪木に勧められ、当時助教授であった高坂正堯 の自主ゼミにも参加した。1987年(昭和62年)京都大学より法学博士 の学位を取得。
政治学者、歴史学者として
2008年 3月23日 防衛大学校卒業式にて
2008年4月25日 防衛大学校春季競技会の カッター競技にて
広島大学 政治経済学部 助手・講師・助教授を経て、1981年 (昭和56年)より神戸大学法学部 教授 、2000年 (平成12年)から2006年 (平成18年)7月まで同法学研究科・国際協力研究科教授を務めたのち退職し、神戸大学名誉教授の称号を受ける[3] 。その後、2006年8月に防衛大学校長 に就任(2012年3月まで)。2012年(平成24年)4月より公立大学法人熊本県立大学理事長、公益財団法人 ひょうご震災記念21世紀研究機構 理事長。2018年 (平成30年)4月より公立大学法人兵庫県立大学(現・兵庫県公立大学法人 )理事長[4] (2023年 (令和5年)3月末で任期満了)。
この間、ハーバード大学 (1977年 〈昭和52年〉-1979年 〈昭和54年〉、2002年 〈平成14年〉-2003年 〈平成15年〉)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (1990年 〈平成2年〉 - 1991年 〈平成3年〉)で客員研究員、日本政治学会 理事長(1998年 〈平成10年〉 - 2000年 〈平成12年〉)を歴任。政府関係の委員として、小渕恵三 首相 時代に官邸 に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長、小泉純一郎 首相時代に設置された私的諮問機関 「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、福田康夫 首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長、2007年 (平成19年)12月に設立された政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2009年 〈平成21年)10月に解体)委員を務めた。
現在は日中両政府に報告・提言を行う日中両国の有識者による会議「新日中友好21世紀委員会 」委員(2003年〈平成15年)12月 - )、一般社団法人 アジア調査会 会長[5] を務めていた。
1985年 (昭和60年)、『米国の日本占領政策 』でサントリー学芸賞 受賞。他に吉田茂賞 (2回)、吉野作造賞 を受賞。2011年(平成23年)には文化功労者 に選ばれる[6] 。
1995年 (平成7年)1月17日 の阪神・淡路大震災 で、ゼミ生の一人を亡くす。亡くなったゼミ生は、ゴスペルシンガー の森祐理 の実弟であり、告別式にはゼミ生が所属していた日本メノナイト・ブレザレン教団 泉北キリスト教会で式辞を読んでいる。地元西宮市に本拠を置いた阪急ブレーブス のファンであった。
2019年 (平成31年)2月、日本経済新聞 において「私の履歴書 」が連載された。
2020年 (令和2年)6月18日 付で、宮内庁 参与 に任じられた[7] 。
2024年(令和6年)3月6日午後、自身が理事長を務めるひょうご震災記念21世紀研究機構で執務中に息苦しさなどを訴えて神戸市 内の病院に搬送されたが、同日、急性大動脈解離 のため、死去した[1] [8] [9] 。80歳没。訃報に際し、天皇・皇后は侍従長を通じて遺族に弔意を伝えた。同年2月23日の天皇誕生日に天皇・皇后に面会したばかりであったという[9] 。死没日をもって従三位 に叙され、瑞宝大綬章 を追贈された[10] [2] 。
学歴・研究歴
学歴
研究歴
2008年 4月25日 防衛大学校 春季競技会表彰式にて
政府委員歴
小渕恵三 首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長
小泉純一郎 首相時代に設置された私的諮問機関 「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員
福田康夫 首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長
政府の有識者会議である「防衛省 改革会議」(2007年〈平成19年〉12月に設立、2009年〈平成21年〉10月に解体)委員
発言・行動
2007年3月18日 防衛大学校 卒業式にて
イラク戦争
イラク戦争 には一定の理解を示しつつも、当初より懐疑的な立場をとった[15] 。
歴史認識
2009年(平成21年)6月1日、北京 で開催された「中国科学・人文フォーラム」で演説し、「日本が起こした侵略戦争 は日本の国益を損ねた」とする見解を示した[16] 。
2006年(平成18年)9月7日配信の「小泉内閣メールマガジン」内の特別寄稿では、小泉政権の外交政策について「とりわけ大きな業績は、対米関係の高水準化」「首相自らがあの北朝鮮を訪問し、拉致を認めさせ、問題解決の大筋を共同声明に示す大業は、小泉以外の誰にもできなかったであろう」などと述べ、高い評価を与えた。その一方で「(小泉首相の)靖国(神社)参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々と築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」とも述べ、「後継者たちに残したものと考えて対処せねばなるまい」と締めくくった[17] 。
歴史認識 問題について日本政府の姿勢を批判する論客や諸外国は、戦前の植民地支配や対外侵略だけでなく、その歴史を反省して平和的発展に尽くした戦後日本の歩みも踏まえて評価すべきだとしている[18] 。
福田康夫政権
歴代政権の外交政策の助言者として行動しているが、特に福田康夫政権では外交政策勉強会、防衛省改革会議と外交・防衛分野における主要なブレーントラスト となった。これは福田の内閣官房長官 時代に私的親交を結ぶ機会があったからとされる[19] 。
防衛省改革に向けて2007年(平成19年)末に発足し、諮問機関「防衛省改革会議」に、五百籏頭が委員として参加した。最終報告書(2008年7月提出)を巡って、石破茂 防衛大臣 と激しく対立することとなった。しかし、首相であった福田康夫が、五百旗頭案を採用したため、五百旗頭の意見を軸に提案をまとめた[20] [21] 。
新型コロナ
非渡航者による新型コロナウイルス の国内感染が日本で初めて確認され、相前後して世界保健機関 が緊急事態を宣言した約1ヶ月後の2020年2月25日に、危機管理の専門家としてBSフジLIVE プライムニュース に招かれ、新型コロナウィルス拡大に伴う日本の危機管理について語った[22] 。番組内で五百旗頭は、流行性感冒 であり春には終息するだろうという見方を示し、もし梅雨どきまで長引くようなことがあったら東京五輪の開催にも影響し、あるいは延期ということになりかねないと付け加えた [要出典 ] 。
家族
一男四女あり。
門下生
著書
単著
共著
編著
共編著
監修
脚注
外部リンク
槇智雄 1952.8.19-1965.1.16
大森寛 1965.1.16-1970.7.1
猪木正道 1970.7.16-1978.7.15
土田國保 1978.9.29-1987.3.24
夏目晴雄 1987.3.24-1993.9.30
松本三郎 1993.10.1-2000.3.31
西原正 2000.4.1-2006.3.31
五百籏頭眞 2006.8.1-2012.3.31
國分良成 2012.4.1-2021.3.31
久保文明 2021.4.1-