中野 雅晴(なかの まさはる、1949年3月9日 - 1973年11月23日)は、日本のレーシングドライバー。東京都出身。
概略
1967年5月、船橋サーキットでスバル・360でレースデビュー、その後トヨタ・モータースポーツクラブ(TMSC)に入会する。トヨタのツーリングカーで活躍し、1971年にTMSCを離れ、プライベート・レーサーとしてFL500で活躍。風戸裕が1972年に将来的なF1参戦を視野に入れ、ヨーロッパF2選手権に参戦していたのを追って、中野もヨーロッパF3選手権に参戦したいという希望を持っていたが、1973年に田中弘率いる強豪チームであるヒーローズレーシングの富士GC、FJ1300のドライバーに勧誘され加入。3月18日の富士300キロスピードレースで2位に入賞する。しかし、同年11月23日に行われた「富士マスターズ250kmレース」の決勝レーススタート直後、30度バンクで多重事故が発生。中野は巻き込まれてガードレールに激突、スタート直後だったため燃料搭載量が満載だった中野のマシンは爆発・炎上し焼死した[1]。24歳没。
レース戦績
FL500
FJ1300
全日本F2000選手権
親戚
脚注
外部リンク