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中野 清(なかの きよし 1948年 - )は、日本の中国文学者。元代々木ゼミナール漢文科講師。
人物
桜美林大学卒業。早稲田大学大学院修士課程・東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程修了。早稲田大学、専修大学、相模女子大学などの非常勤講師。
予備校漢文教師の経歴があり、著書『ガッツ漢文』シリーズの中では、古文文法に基づく従来の漢文教育を痛烈に批判し、現代中国語に即した語学としての漢文教育を主張している。
中国文学研究者として、当初は現代文学の柔石を研究していたが、二十一世紀に入った頃から『子不語』など古典小説に研究対象を移している。
著作
中国文学研究書
大学受験参考書
一般書
翻訳
論文
- 「『柔石の文体』--『人鬼与他的妻的故事』から『為奴隷的母親』へ」『文体論研究』 日本文体論学会〔編〕(通号26、1979年10月)
- 「柔石の北京時代 -- 1925年のこと(内田道夫先生記念論集)」『人文学報』東京都立大学人文学部編(通号140、1980年3月)
- 「水滸伝の描写技法 -- 金聖嘆「読第五才子書法」を中心に」『文体論研究』(通号 27、1980年11月)
- 「朝華社時期の柔石 -- その活動と翻訳の文章」 『櫻美林大學中國文學論叢』(通号10、1985年)
- 「山田蠖堂について -1- その生涯」 『櫻美林大學中國文學論叢』(通号11、1986年
- 「柔石『二月』の比喩表現について」 『櫻美林大學中國文學論叢』(通号15、1990年3月)
- 「『二月』論ノート(早稲田大学文学部創立100周年記念)」『中国文学研究』 早稲田大学中国文学会(通号16、1990年12月)
- 「国際魯迅学会と江南定点観測(上)」 『情況 第二期』8(2)(1997年2月)
- 「国際魯迅学会と江南定点観測(中)」 『情況 第二期』 8(3)(1997年4月)
- 「国際魯迅学会と江南定点観測(中-2)」 『情況 第二期』 8(4)(1997年5月)
- 「国際魯迅学会と江南定点観測(下)」 『情況 第二期』 8(5)(1997年6月)
- 「『左傾』評価の変化について(附 江南定点観測補遺) (【特集】中国はどこへ行くのか)」 『情況 第二期』 8(7)(1997年9月)
- 「城門失火、殃及池魚 -- 成語の成立過程」『専修人文論集』(通号67)(2000年11月)
- 「『黒龍』から『烏龍』へ -- 六朝志怪の演変」 『専修人文論集』(通号75)(2004年10月)