下島 勲(しもじま いさおし[1][2]、通称いさお[1]、1869年9月20日(明治2年8月25日)[1] - 1947年(昭和22年)5月30日[1])は、日本の医師、俳人。号は空谷(くうこく)[2]。
略歴
長野県伊那郡原村(現・駒ヶ根市)出身[1]。上京後苦学して商業学校、ついで東京慈恵医院医学校を卒業し軍医となる。日清戦争・日露戦争などに従軍して[2]陸軍一等軍医となり、1907年軍隊を退く。同年、東京都田端348番地(現・東京都北区田端1丁目15番)に、楽天堂医院を開業[2]。田端鉄道病院に嘱託医師としても勤めた[2]。書画・俳句などを通じて芥川龍之介・室生犀星・久保田万太郎・菊池寛・板谷波山・萩原朔太郎ら多くの文士・彫刻家・画家などと親交を深め、「道閑会」という田端在住の文士・芸術家達の交流の会の主要メンバーを務めた[2]。芥川とは特別懇意になり、主治医としてその最後を看取った[1][2]。また芥川と協力して『井月の句集』を刊行し[1]、郷里の伊那に埋もれていた井上井月を紹介した[1][3]。甥に下島連がいる。墓所は多磨霊園(17-1-19)
著書
編著
関連項目
脚注