上野 豊(うえの ゆたか、1915年(大正4年)11月9日[1] - 2016年(平成28年)3月6日[1])は、日本の実業家。海運・石油輸送大手の上野トランステック名誉会長[2]、横浜エフエム放送会長。元横浜商工会議所会頭、横浜エフエム放送社長。神奈川県横浜市出身[1]。長男は上野トランステック社長の上野孝。
来歴
1937年、旧制横浜高等商業学校(現横浜国立大学)を卒業し、合名会社上野運輸商会に入社[1][2]。渡辺輝一ゼミ出身[3]。終戦時は陸軍大尉として広島に赴任。被爆するが一命を取り留める。1966年、上野運輸商会社長に就任[1][2]。1975年株式会社上野運輸商会社長[2]。石油輸送の上野グループを国内大手に育て上げ、石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェルとのつながりも深く、本国のシェル上層部と直接話のできる数少ないひとりと言われた。1985年、横浜エフエム放送代表取締役社長[1]。1987年、上野トランステック代表取締役会長[1]。1992年6月、横浜エフエム放送代表取締役会長[1]。1998年、上野トランステック会長[2]。2008年同名誉会長[2]。
横浜経済界の実力者と言われ、神奈川県公安委員会委員(1976年7月から1991年7月まで5期在任)[1]、横浜商工会議所会頭(1979年から1994年10月まで)[1]、横浜市美術振興財団理事長(1996年)などを歴任した。横浜ベイブリッジの建設促進、新幹線ひかりの新横浜駅停車、横浜能楽堂建設などで中心的な役割を果たした[4]。
2016年3月6日、100歳で死去[1]。同日付で正四位[5]。
受賞・受勲など
脚注