ヴェルチェッリ(イタリア語: Vercelli ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ピエモンテ州にある都市であり、その周辺地域を含む人口約4万6000人の基礎自治体(コムーネ)。ヴェルチェッリ県の県都である。
トリノとミラノの中間、ポー平原のセージア川河畔に位置する都市である。
名称
イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。
- ピエモンテ語: Vërsèj
- ピエモンテ語ヴェルチェッリ方言 (it) : Varseij
地理
位置・広がり
ヴェルチェッリ県南東部に位置するコムーネで、ノヴァーラから南西へ21km、ビエッラから南東へ39km、アレッサンドリアから北北西へ48km、ミラノから西南西へ62km、州都トリノから東北東へ64kmの距離にある[5]。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のPVはパヴィーア県、NOはノヴァーラ県所属を示す。
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ドゥオーモ
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サンタンドレア修道院
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Piazza pajetta
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雪のカヴール広場
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夕暮れ
歴史
ヴェルチェッリは北イタリアでも最も古い都市の一つであり、紀元前600年ごろまで遡ると考えられる。ラテン語でウェルケラエ (Vercellae) あるいは Vercelum と記されたこの都市は、リグリア人 (Ligures) の一部族であった Libici あるいは Lebecili と呼ばれる人々の首都であった。ローマのもとで、この都市は重要なムニキピウムとなった。この都市の付近では紀元前101年にウェルケラエの戦いが行われ、ガイウス・マリウス率いるローマ軍がキンブリ族とテウトネス族を打ち破った。
その500年後、マギステル・ミリトゥムのスティリコは、ゴート族をこの地で全滅させた。ヒエロニムスの時代には、この都市の半ばは廃墟と化していた(olim potens, nunc raro habitatore semiruta (1, 3.1))。ランゴバルド族が侵入すると、この地はイヴレーア侯国の属地となった。885年からは神聖ローマ帝国の聖界諸侯たる司教領となった。
1120年、ヴェルチェッリは独立したコムーネ(都市国家)となった。ヴェルチェッリは第1次および第2次のロンバルディア同盟に参加した。その法令は、中世の共和国の中で最も興味深いものの一つとされる。1228年には、パドヴァにあったウニヴェルシタス(教師と学生の集団。のちのパドヴァ大学)がヴェルチェッリに移転して来た。ウニヴェルシタスはヴェルチェッリに1372年まで所在したが、特に目だった隆盛は示していない。ただし、その後も法科大学のみが維持された。
1307年には、異端とされたドルチーノ派の指導者フラ・ドルチーノが、当地で火あぶりの刑に処せられた。
13世紀には、都市をさまざまな問題が襲い、ミラノのデッラ・トッレ家(英語版)(1263年)、モンフェッラート侯国(1277年)、ヴィスコンティ家のマッテオ1世 (Matteo I Visconti) (1290年–1299年)が当地を支配した。その後、1301年から1334年まで、ギベリンのティッツォーニ家 (Tizzoni) とゲルフのアヴォガドリ家 (Avogadri) が都市の主導権を争った。ゲルフはたびたび追放され、1328年にはモンフェッラート侯国がヴェルチェッリを手に入れた。1334年には、自ら進んでミラノのヴィスコンティ家の庇護下に入った。1373年には、司教ジョバンニ・フィエスキ (Giovanni Fieschi) はヴィスコンティ家を追放したが、マッテオ・ヴィスコンティは都市を再征服した。ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティとフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの兄弟争いによって利益を得た傭兵隊長のファチーノ・カーネ (Facino Cane) は、1402年にヴェルチェッリを支配下に収めたが、1404年にモンフェッラート侯テオドーロ2世 (Theodore II, Marquess of Montferrat) によって追放された。1427年、ヴェルチェッリはモンフェッラート侯からサヴォイア公国に譲渡された。
ヴェルチェッリは、1499年と1553年にフランスによって、1616年と1678年にスペインによって占領された。 1704年、フランス軍は要塞を破壊することに失敗し、ヴェルチェッリは長い包囲戦に耐えた。以後のヴェルチェッリは、サヴォイア家(1720年以後はサルデーニャ王国)と運命をともにしている。1821年には、憲法制定を求める蜂起が発生した。
行政
分離集落
ヴェルチェッリには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- Bivio Sesia, Brarola, Larizzate, Carengo, Cascine Strà, Montonero
社会
教育
姉妹都市
スポーツ
サッカー
プロサッカークラブのFCプロ・ヴェルチェッリが本拠を置く。ホームスタジアムはスタディオ・シルヴィオ・ピオラ。スタジアム名は、20世紀の名選手であるシルヴィオ・ピオラがヴェルチェッリで選手生活を始めたことを記念する。
人物
著名な出身者
ゆかりの人物
脚注
外部リンク
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