やがてヴェドゥータの中に、パンニーニの絵のように架空の景観を描いたものも出てくる。カプリッチョまたはvedute ideate、veduta di fantasiaと呼ばれるものである[3]。ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージはこのジャンルのエッチングの第一人者で、『ローマの景観』シリーズは大ヒットした。
ヴェネツィアではイタリア国外出身の画家たちがコミュニティを作っていて、ガリツィア出身のアントニエッタ・ブランダイス、スペインからマルティン・リコ、マリアノ・フォルトゥーニ、アントニオ・レイナ・マネスカウ(Antonio María Reyna Manescau、ラファエル・セネト・ペレス、ペルーからフェデリコ・デル・カンポらが活動していた。ヴェネツィアの景観画は国際的に需要があり、これらの画家たちはイタリアの景観画を描くことだけで大きな名声を得た。とくにデル・カンポの景観画はイギリス人観光客らに人気で、同じ場所の風景を何度も描くことになった[6]。レイナ・マネスカウも同様で同じ景観をわずかに違えたものを描き続けた[7]。
^ abRudolf「「 Wittkower, Art and architecture in Italy: 1600-1750, Penguin Books, 1980, p. 501
^Edgar Peters Bowron, Joseph J. Rishel, Art in Rome in the Eighteenth Century, Philadelphia Museum of Art; Museum of Fine Arts, Houston, 2000, p. 236-237
^Christine van Mulders and Alain Jacobs. "Bloemen, van." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 5 Dec. 2014