四方にファサードがある正方形の完全な対称形の建物であり、それぞれのファサードにポルチコがある。建物の四隅と各ポルチコの中心を通るように円を描くと、建物のほぼ全てがその中に納まるようになっている(左の平面図参照)。ラ・ロトンダという名称は中央の円形のホールとその上のドームに由来する。このヴィラ全体を表現するなら、ロタンダ(rotunda = rotonda)は技術的には不正確である。何故ならこの建物は円形ではなく、正方形と十字を組み合わせた形だからである。ポルチコの前には階段があり、そこから中に入ると小さな部屋または廊下を通って中央にあるドームつきの円形ホールに出る。全ての部屋の寸法はパッラーディオが『建築四書』 (I Quattro Libri dell'Architettura) に記した建築法則にしたがって精密に計算されている[2]。
スカモッツィが仕事を引き継いだことにより、当初パッラーディオが計画していたものと、現存しているヴィラ・アルメリコ・カプラの間には幾つかの異なる点が存在する。その中でも最も重要なものは、「建築四書」所載のパッラーディオが制作した図面と、スカモッツィによる現存しているヴィラ・アルメリコ・カプラのドームが大きく違っていることである。パッラーディオの計画は、ブラマンテによる聖ペテロの殉教記念堂「テンピエット」の影響を受けており、方形屋根の中央から半球形のドームがのった構成となっている。また、パンテオンとの類似性においても特筆すべき点がいくつかある。ドームの構成に象徴されるように、正方形に円形が組み合わされている点に、ヴィラ・アルメリコ・カプラの抽象度の高さと概念的に重要な意味があるとされる。住宅建築に、神殿や教会で採用されるドームという建築構成が取り入れられている点にパッラーディオの個性が窺える。スカモッツィによる現存している建物のドームは、五段の階段型のピラミッド状の屋根になっている。当初のパッラーディオの計画したドームの特徴とは異なるデザインになっているが、推力などの構造上の観点からすれば、パッラーディオの制作した図面では幾つかの疑問点があるのに対し、スカモッツィの解決は合理的なものになっている。逸話として、当初依頼主であるアルメーリコはパンテオンのような天窓の付いたドームを希望したというものがある。現存の建物のドームの頂上はオルクスとなっており、テンピエット型のものが採用されている。パッラーディオの計画したドームは方形の四隅の処理で不具合な点があるように図面から見受けられ、建設不可能ではないものの、実際にスカッツィに引き継ぐ前に建設していたとしたら、推力の関係で雨漏りしていた可能性が高い。そのため、スカモッツィによって現存ドームに修復されたのではないかという説もある。このようにドームに関して、建設過程における謎が多く、どの段階でどのような変遷を経て、現在のドームに至ったかは諸説あるものの事実はわかっていない。ドームが改造されたことは、内部装飾にも影響を与えている。1581年までに、ルビーニによって制作された中央円形広間内部のストゥッコ装飾が、アレッサンドロ・マガーンツァがフレスコ画に取り替えられたことを意味している。現存するフレスコ画は、ロドヴィーコ・ドリニイ(Lodovico Dorigny, or Louis Dorigny, 1654-1742)によって制作されたものである。
このヴィラの現在の所有者は Mario di Valmarana で、ヴァージニア大学の建築学の教授だった。このヴィラは2世紀以上にわたって彼の一族の家だった。彼はこのヴィラを後世に残すために保存することを宣言している。内部は毎週土曜日(2011年4月より)に一般公開されているが冬の間は公開されない。庭は毎日一般公開されている。