ワーシト あるいはワースィト (アラビア語 : واسط , ラテン文字転写 : Wāsiṭ )は、中世イラク のティグリス川 中流域に存在していた軍事・商業都市 である。ウマイヤ朝 時代に、イラク総督 のハッジャージュ・ブン・ユースフ (英語版 ) によって築かれた。軍事、交通の要衝として栄えたが、ティグリス川の流路が変わると衰退し、姿を消した[1] 。
位置
ワーシトは、イラク東部のワーシト県 の中南部、県都クート から南東におよそ54km の位置にある[2] 。
歴史
ワーシトは、バスラ 、クーファ に次ぐイラクで3番目に築かれたムスリム 都市で、ウマイヤ朝のアブドゥルマリク にイラク総督に任じられたハッジャージュ・ブン・ユースフによって、恐らく西暦 702年(ヒジュラ紀元 83年)に築かれた[3] [1] 。ハッジャージュは、ウマイヤ朝の支配に抵抗するアラブ 戦士への抑えとして、バスラ、クーファ、そしてペルシア のアフワーズ からほぼ等距離にあるティグリス川畔に、シリア 戦士が駐留する軍営都市を置くことを決め、バスラとクーファの中間に位置することから、「中間の街」を意味する「ワーシト」という名前が付けられた[3] [4] 。ハッジャージュはこの地にまず、大モスク とそれに隣接する総督の宮殿を建設、都市はティグリス川に面していない三方を壁で囲って、6ヶ所の出入り口には全て門を設け、都市への出入りを厳重に管理した。ワーシトの建設にあたってハッジャージュは、周辺の町や村を数多く破壊し、その建材を利用したといわれる[4] [5] 。
ハッジャージュの死後も、ワーシトの街はイラクにおけるイスラム王朝 の最大拠点となるまで発展を続け、ウマイヤ朝期を通じて、イラクにおける最重要都市であった[4] 。
ウマイヤ朝に替わって、アッバース朝 がイラクの支配者となり、バグダード が建設されて首都 となると、ワーシト市壁の門は撤去されてバグダードへ移設されるなどして、政治的な地位には陰りがみえはじめたが、軍事上は変わらず要衝であり続けた。また、商業都市や学術都市としては繁栄を続けた。モンゴル帝国 のイラク征服の際には大規模な略奪や虐殺が行われ、ティムール の征西に際しても多くの建物が破壊されたが、都市は維持し続けられた[4] [1] 。
しかし、ティグリス川は徐々に水量を減らし、15世紀以降には流路も変化して、ワーシトはティグリス川から遠ざかる。17世紀には、トルコ の地理学者 がワーシトについて、砂漠の中にたたずむ、と記している。ティグリス川の恵みを失うことで、ワーシトや周辺の町村は衰退し、18世紀の始めには完全に無人となり、都市としては消滅した[4] [1] 。
特徴
ワーシトが築かれた場所は、7世紀の大洪水 で流路が変化したティグリス川の西岸で、対岸はカスカル(カシュカル) (英語版 ) という都市の支配地域であった。ワーシトは、「黒い土地」を意味するサワード (英語版 ) というイラク南部に広がる肥沃な沖積平野 の東部に位置し、ハッジャージュが灌漑 や開墾を奨励したこともあって、周囲に豊かな農地が広がった。ワーシト周辺での農作物の収穫は、他都市の飢饉 に備えた備蓄にもあてられたという[3] 。ティグリス川に面し、イラク各地へ延びる街道網の中核でもあったことから、ワーシトは造船 基地、商業拠点としても発展した[1] 。多くの隊商宿が店を構え、旅人が行き交った[5] [4] 。ワーシトは美しい都市で、中心のモスクは200ヤード 四方、隣接する総督の宮殿は400ヤード四方程の大きさがあり、宮殿の屋根にはいわゆる「緑のドーム (英語版 ) 」が設えられ、25km離れた場所からもみえたという[5] 。このモスクや宮殿は、アッバース朝のカリフ ・マンスール がバグダードを建設する際に手本にしたといわれる[4] 。市壁は高さ2m 、厚さが4.5mあり、外側を堀がとり巻いていた。市内は4本の大通りが貫き、道幅は8ヤード程あったという[5] 。
ワーシトは、学問の一大拠点でもあった。バグダードとメッカに同名のものがあるシャラビヤ・マドラサ を抱え、多くの学者が活動した[4] [5] 。ハティーブ・バグダーディー (英語版 ) 、イブン・ジャウズィー (英語版 ) 、イブン・アスィール などが、ワーシトに居たとされる。また、イブン・バットゥータ は、ワーシトでは多くの学者がクルアーン を深く学び流麗に読む、と記し、クルアーンを学ぶために各地からワーシトに人が集っていたことを伝えている[4] 。
現在
ワーシト跡は、長らく砂漠のただ中に放置されてきたため、人の手による破壊は免れているが、風化による損耗は目立つ。1936年から1942年にかけてと、1985年に調査隊が発掘調査に入り、マドラサの門と思われる建造物や墓地 、モスクの遺構などを確認している。地上に建っている建造物は、摩耗への対処として部分的に保護がされているが、包括的な保全事業は行われていない[2] 。
2002年7月7日、ワーシトは世界文化遺産 の暫定一覧に加えられている[2] 。
出典
^ a b c d e The Editors of Encyclopaedia Britannica (1998年7月20日). “Wāsiṭ ”. Britannica . Encyclopædia Britannica, Inc.. 2020年11月5日 閲覧。
^ a b c “Wasit ”. World Heritage Centre . UNESCO . 2020年11月5日 閲覧。
^ a b c Adamo, Nasrat; Al-Ansari, Nadhir (2020), “The first Century of Islam and the Question of Land and its Cultivation (636-750 AD)”, Journal of Earth Sciences and Geotechnical Engineering 10 (3): 137-158, ISSN 1792-9040
^ a b c d e f g h i Oseni, Z. I. (1988), “An examination of al-Ḥajjāj b. Yūsuf al-Thaqafī's major policies” , Islamic Studies 27 (4): 317-327, https://www.jstor.org/stable/20839912
^ a b c d e Al-Taie, Entidhar; Al-Ansari, Nadhir; Knutsson, Sven (2012), “Materials and the Style of Buildings used in Iraq during the Islamic period”, Journal of Earth Sciences and Geotechnical Engineering 2 (2): 69-97, ISSN 1792-9040
関連文献
Sakly, Mondher; Darley-Doran, R., “Wāsiṭ”, in Bearman, P.; Bianquis, Th.; Bosworth, C.E. et al., Encyclopaedia of Islam , Second Edition , Brill , doi :10.1163/1573-3912_islam_COM_1343
Nicholson, Oliver, ed. (2018), “Wasit”, The Oxford Dictionary of Late Antiquity , Oxford University Press , ISBN 9780198662778
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ワーシト に関連するカテゴリがあります。
“116. Wasit (ancient: Wasit ) ”. Cultural Property Training Resource . Center for Environmental Management of Military Lands, Colorado State University. 2020年11月5日 閲覧。
“Wasit Mosque ”. The Sacred City . Dan Gibson Film. 2020年11月5日 閲覧。
“ワーシト ”. コトバンク . 2020年11月5日 閲覧。