ロジャー・ブルース・チャフィー (Roger Bruce Chaffee、1935年 2月15日 -1967年 1月27日 )は、アメリカ海軍 の少佐 、アメリカ航空宇宙局 の宇宙飛行士 である。チャフィーは、ガス・グリソム 、エドワード・ホワイト とともにアポロ1号 の事故によりケネディ宇宙センター で死亡した。死後に宇宙名誉勲章 、パープルハート章 、アメリカ海軍航空章 を受章している。
初期の人生
チャフィーはミシガン州 グランドラピッズ で生まれ、イリノイ工科大学 に進学し、1957年にパデュー大学 で航空工学 の学士号を取得した。オクラホマシティ のマーサ・ホーンと1957年8月24日に結婚し、2人の子供、シェリー・リンとステファンを儲けた。チャフィーはボーイ・スカウトとファイ・カッパ・シグマのメンバーだった。1962年に空軍工科大学で修士号を取得した。
軍事とNASAでのキャリア
チャフィーはアメリカ海軍で少佐に昇進した。1960年代前半の彼の仕事は、ケープ・カナベラル の撮影等だった。Moon Shot: The Inside Story of America's Race to the Moon という本の中では、彼は偵察機 U-2 で、ジョン・F・ケネディ 大統領が1962年10月22日のテレビ演説で用いた、キューバ に配備されたソビエト連邦 のミサイルを撮影したと語っているが、この頃、実際にはチャフィーはA-3 を元にした偵察機RAD3に乗っていた。公式には、キューバ危機 の時に任務に就いていたとされているが、正確な役割は明確にはなっておらず、キューバ上空を本当に飛んでいたかは明らかにはなっていない。
チャフィーは熱心に狩りを行った。宇宙飛行士への応募後、彼は神経を落ち着けるために狩りに行った。NASAが彼に仕事を依頼してきたのは、その狩りに行く途中のことであった[ 1] 。1963年10月18日、彼は14人の新しい宇宙飛行士の1人になったことが公式に発表された。彼は、ガス・グリソム、ユージン・サーナン とともに、エドワード・ホワイトがパイロットを務めたジェミニ4号 の管制通信員を務めた。彼はまた、グリソムとともに、無人のサターン1B ロケットの打上げを飛行機から撮影した。また、同僚の宇宙飛行士エリオット・シー の棺を担ぐ役を務めた。アポロ1号は彼の初の宇宙飛行だった。ミッションではアポロ月着陸船 は用いられなかったが、彼は月モジュールのパイロットを務める予定だった。
死
チャフィーは、ガス・グリソム、エドワード・ホワイトとともに、ケープ・カナベラルで起きたアポロ1号の事故で死亡した。打上げ前試験を行っていた時に、管制官に最初に火災のことを知らせたのはチャフィーだった。火災が発生して8秒の間、チャフィーはシートに座って、緊急メッセージを中継し続け、他の2人がハッチを開けようと懸命な努力をしている間、管制塔に情報を送り続けた。チャフィーとグリソムはともにアーリントン国立墓地 の第3地区に、ホワイトはウェスト・ポイント墓地 に葬られている。
記念
学校
卒業したパデュー大学にはチャフィー・ホールがある。
「ロケット・シティー」として知られるアラバマ州 ハンツビル には、ロジャー・B・チャフィー小学校がある[ 5] 。ハンツビルには、エド・ホワイト中学校、バージル・グリソム高校もある[ 6] 。
フロリダ州 ジャクソンビル に、2007年7月、チャフィー・トレイル小学校が開校した[ 7] 。
バミューダ海軍航空基地の海軍高校は、1970年から1995年まで、彼にちなんだ名前だった。バミューダ 政府に基地を返却したのに伴い、クリアウォーター中学校となった。
映画とテレビ
1995年の映画『アポロ13 』では、リード・ルディ がチャフィーの役を演じた。1998年のテレビドラマ『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ 』では、ベン・マーレー が演じた。
出典
外部リンク