リコ・ロドリゲス(Rico Rodriguez、本名エマニュエル・ロドリゲス(Emmanuel Rodriguez)、1934年10月17日 - 2015年9月4日)は、キューバのハバナで生まれ、ジャマイカのキングストンで育ったトロンボーン奏者[1]。初期ジャマイカ音楽における最高のトロンボーニストの一人とされる。
経歴
アルファ・スクール(英語版)在学中、トロンボーンの演奏を学ぶ。同校で講師をしていたドン・ドラモンドにもトロンボーンの演奏を教わった。ドラモンドは後にスカにおけるトロンボーンの有名演奏家になった。
1950年代にリコはラスタとなり、同じくラスタのドラマーであるカウント・オジーと密接に関わるようになる。カウント・オジーはプリンス・バスターやロイド・マタドール・デリー(英語版)などの大勢のプロデューサーとレコーディングをしていた。ワレイカ・ヒルにあるラスタのコミューンに集まり、後のザ・スカタライツ[2]のメンバーとなるドン・ドラモンドやトミー・マクック、ジョニー・ムーア(英語版)達と一緒にセッションを繰り返していた。1961年、ワレイカ・ヒルの仲間に引き止められるも渡英[3]、英国のレゲエバンドで演奏を続けた。
1967年、ダンディ・リヴィングストンは「ルーディたちへのメッセージ」のレコーディング後、ロドリゲスのトロンボーンをダビングしてシングルとして発売。ロックステディの流行とともにイギリス本国でヒットした。
彼は1976年にアイランド・レコーズと契約、代表作である『マン・フロム・ワレイカ』をレコーディングする。1970年代末に、新たに2トーン・レコードが生まれると、リコはスカ・バンドザ・スペシャルズに参加した。スペシャルズは1979年にリヴィングストンは「ルーディたちへのメッセージ」をカバーするが、ここでもロドリゲスは呼ばれ、演奏を行った[4]。
1996年からは、他の仕事とも平行してジュールズ・ホランズR&Bオーケストラ(英語版)に参加、更なるトロンボーン奏者としての活動を続けた。
2015年9月4日、入院先のロンドンの病院で逝去[5]。
ディスコグラフィ
- Reco In Reggae Land (Paying Tribute To Don Drummond)(Pama Records、1969年)
- Man From Wareika(アイランド・レコード、1976年)
- Wareika Dub(Ghetto Rockers、1977年)
- That Man Is Forward(2TONE、1981年)
- Jama Rico(2TONE、1982年)
- Rising In The East(Jove Music、1994年)
- Return From Wareika Hill(アルファエンタープライズ、1994年) ※ KUUBO、こだま和文、デニス・ボーヴェルらと共に日本で制作[6]
- You Must Be Crazy(Grover Records、1994年) ※ライブ盤、Rico & His Band として
- Wonderful World(Quattro、1995年)
- Get Up Your Foot(Grover Records、2000年) ※ Rico & His Band として
- Going West(Creole Records、2002年) ※Rico & Friends として
- Togetherness(Subterrannia Discos、2005年) ※ Rico Rodriguez & Roots To The Bone Band として
- Japa-Rico - Rico Rodoriguez Meets Japan(ソニー・ミュージック、2006年)
- Wareika Vibes(Jamdown、2006年)
脚注
- ^ Rico Rodriguez: Man From Wareika - Entertainment - JamaicaObserver.com (英語) - 2012年6月22日
- ^ ローランド・アルフォンソらを中心としたスカ・バンド
- ^ 渡英しなければ高い確率でザ・スカタライツのメンバーになっていたと言われる。
- ^ Rico Rodriguez https://www.allmusic.com/artist/rico-rodriguez-mn0000215140/biography |website=AllMusic
- ^ スカ・トロンボーンの第一人者、リコ・ロドリゲス、死去 | Rico Rodriguez | BARKS音楽ニュース - 2015年9月7日
- ^ アルファ・マストアイテム
関連項目