ラムセスという誕生名は、「ラーは彼に生を与えた者」という意味の「ra-mes-sw」のギリシア語読みである。なお、ラムセス3世以降の同名を称する第20王朝のファラオとの血縁関係は無いとされる。即位名はウセルマアトラー・セテプエンラー(User maat Ra-Setep en Ra)。これは「ラーのマアト(正義、真理、宇宙の秩序などの意)は力強い。(彼は)ラーに選ばれし者」を意味し、これをギリシャ語化した「オジマンディアス(コイネー:Οσυμανδύας、Osymandýas)」の名でも知られる。
出自は不明。王族や貴族の称号を両方とも持っていないので、軍人の娘、下エジプト貴族の娘、18王朝ファラオホルエムヘブの親族更に平民出身など諸説ある。ネフェルタリに対して、彼女は下エジプト(大都市メンフィスやヘリオポリス、また新首都ペル·ラムセスなど古代エジプトナイル川下流地区)を代表する王妃と推測される。ラムセス2世は即位前に彼女を迎えた。彼女はラムセス2世最初の妃の一人であり、第一王女/正妃ビントアナト、第五王女/正妃ネベイタウェイ、王太子ラムセス、王太子/プタハの最高祭カエムワセトとファラオメルエンプタハの母であり、存在が極めて伝説的な妃。彼女が正妃になった時期は不明である。ネフェルタリの死後、彼女が正妃となった可能性があると言われているが、ネフェルタリとともに立后し、ネフェルタリよりも先に亡くなったとする説もある。イシスネフェルト1世の墓所は未だ明らかでないが、ある金庫保管員墓所中の葬品に彼女の墓所の場所について、暗号らしき物が残っている。この葬品には「王国至高の支配者の側(Near the First Commander of All Land)」「天水の下(From end of water of sky)」記載されているので、彼女の墓所が国王の谷に、息子メルエンプタハや夫ラムセス2世の墓所(KV8とKV7)周辺である可能性が高い(ただし、ほかにはサッカラ地区や王妃の谷近くなど諸説ある)。
第一王女。ラムセス2世とイシスネフェルト1世の娘。王子リストと違って、ラムセス2世の王女リストの順位が不定であり、異なるリスト間で順位が違う。ただし、ビンタアナトは常に一番目。彼女はネフェルタリがまだ生きている間(少なくとも王の治世21年前)に正妃となった。最初に父ラムセス2世と結婚した王女であり、唯一ラムセスとの間の子供を産んだ娘でもある。「女性後継者(female heiress)」「偉大な一番目(the Great First one)」「後宮の主(Chief of the Harem)」の称号を持ち、大臣のような存在であった。カルナック神殿の王妃像で有名であった。墓所は王妃の谷のQV71、壁画は大部分が焼失している。
第四王女。ラムセス2世とネフェルタリの娘。母ネフェルタリ死後に正妃となった。 王族の女性が担う「アトゥム神の歌姫(songstress of Atum)」の称号を持つ。異母姉ビントアナトと権力を分かち合ったらしいと言われている。美しい像「白い王妃(White Queen)」で有名であった。墓所は王妃の谷のQV68、壁画は大部分が焼失している。
第一王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。最初の王太子。アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。「軍隊の指揮官(Commander of the Troops)」、「有効な親友(Effective Confidant)」、「王の長男(Eldest Son of the King of his Body)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」などの称号を持つ傍ら、「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」や「王家の書記官(Royal Scribe)」等王の側近が持つ称号を他の王子と共有していたようだと言われている。このような彼の称号は、彼が軍で高い地位を占めていた事を示しており、また外交官としてラムセス2世の治世21年のヒッタイトとの平和条約締結後の外交関係に関与している。治世21年ほどにセティヘルケブシェフ(Sethhirkhepeshef)に改名したらしいとされる。治世25年頃に死去。国王の谷の王子合葬墓KV5に埋葬されている。
ラムセス(Remesses)
第二王子。ラムセス2世とイシスネフェルト1世の息子。アブ・シンベル大神殿に展示される。「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」「王家の書記官(Royal Scribe)」「最高司令( First Generalissimo )」「王の愛する息子(bodily King's Son beloved of him)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」などの称号を持つ。軍で重要な役職を持つ反面、聖牛アピスの埋葬などラムセス2世治世初期の宗教的な仕事や宮廷裁判(大臣や王族及びその親族の汚職事件を処分するなど)等の行政的な仕事等に携わっている記録が多い。兄アメンヘルケブシェフの死去後の治世25年から王太子になるが50年頃に死去。国王の谷の王子合葬墓KV5に埋葬されている。
プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)
第三王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。アブ・シンベル小神殿に展示される。多くの兄弟と同じく軍人となった。上記の兄たちとは「世襲の王子(Hereditary Prince)」「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」「王家の書記官(Royal Scribe)」の称号を共有し、異母弟である第五王子モンチュヘルコプシェフ(Montuhirkhopshef)とは「馬事総監(Master of the Horses)」「王の第一騎兵隊長( First charioteer of His Majesty)」の称号を共有していた模様であるとされる。次兄ラムセスの死後に王太子になっていないので治世50年以前に死去しているのではないかと推測されている。
メンフィスの主神プタハの最高司祭やメンフィス市長として「世襲の王子(Hereditary Prince)」「両国の領主(Chief over the Two Lands)」「プタハ神のセム神官(Sem Priest of Ptah) 」「神の秘密の根源(Chief of the Secrets in the God's)」「職人達の最高統率者(The Greatest of the Directors of Craftsmanship)」「あらゆる神殿の責任者(Controller of All Temples)」「あらゆる服飾の責任者(Controller of All Clothing)」「ハトホルの息子(Son of Hathor)「オシリスの後継者(Hier of Osiris)」「ホルスの近臣(Counterpart of horus)」「彼の父の一番重要な監督(Chief directing Craftsn of his father)」の称号を持ち、「プタハ神殿の増築」や「聖牛アピスの埋葬及びセラピウムの改築」「セド祭(王位更新祭)の布告」「カエムワセト供養文の創出」等幅広い分野で功績が挙げられる。また有名な業績の一つが「古記念物の調査及び修復活動」である。クフ王のピラミッドやジョセル王のピラミッド、ウナス王のピラミッド等いくつものピラミッドや太陽神殿の化粧石に修復を記念した銘文を刻んだことにより「世界最古のエジプト考古学者」の呼び声が高い。兄ラムセスの死後50年頃王太子に指名されるが55年頃に死去。多くの兄弟が眠るKV5には埋葬されておらず現在も墓は発見されていないが、1991年早稲田大学エジプト調査隊がカエムワセトの葬祭殿を発見している。
セティ(Sethi)
第九王子。ネフェルタリまたイシスネフェルト1世の息子とされる。「彼の父の一等航海士(First Officer of his father)」の称号を持つ。
第十三王子。 19王朝四代目のファラオ。 ラムセス2世とイシスネフェルト1世の息子。40年に「軍隊の監督者(Overseer of the Army)」となって、兄ラムセスの死後50年に「司令官(Generalissimo)」の地位を引き継ぎ、兄カエムワセトの死後王55年に後継者に指名された。このときすでに40歳を超えていたが、ラムセス2世はその後さらに20年近く在位したため即位したのは実に60歳を超えてからのことであった。ラムセス2世治世末期に父と国を共同で治めた可能性がある。
メルトアトゥム(Meryatum)
第十六王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。アブ・シンベル小神殿に展示される。治世30年前後にヘリオポリスの主神ラーの大司祭に任命され、その地位を20年間保持していたとされる。主だった称号は「最も偉大なるものを見る者(Greatest of Seers)」「先見者の長(Chief of Seers)」「ベンヌ鳥の家の秘密保持者(Chief of Secrets in the Mansion of the Bennu-bird)」「太陽神ラーの家の純粋な手(pure of hands in the house of Re)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」。