ヨアヒム・レーヴ (Joachim „Jogi“ Löw 、1960年 2月3日 - )は、西ドイツ ・バーデン=ヴュルテンベルク州 シェーナウ・イム・シュヴァルツヴァルト 出身の元サッカー選手 、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード 。
ニックネームは「Jogi (ヨギ)」。なお項目名は日本のマスコミが使用する表記であり[要出典 ] 、ドイツ語規範発音をカタカナ転写すれば「レーフ 」[1] となる。
経歴
選手時代
現役時代のポジションはFW 。
SCフライブルク でプロサッカー選手となった後、VfBシュトゥットガルト などのドイツのクラブに移籍し、1989年にスイスのFCシャフハウゼン に移籍。1995年、スイスのFCフラウエンフェルトで引退する。U-21ドイツ代表の経験もある。SCフライブルクではチーム得点王にもなっている。
指導者時代
クラブチームでのキャリア
35歳で現役を引退後、ドイツ・ブンデスリーガ のVfBシュトゥットガルトのヘッドコーチに、翌年には監督に就任。就任した1996-97シーズンでクラシミール・バラコフ やジオバネ・エウベル・ジ・ソウザ 、フレディ・ボビッチ 等で攻撃的なチームを作り、リーグ4位とDFBカップ で優勝する。翌1997-98シーズンにもリーグ4位、そしてUEFAカップウィナーズ・カップ で準優勝するが、当時のマイヤー・フォアフェルダー 会長が「クラブの監督にはビッグネームを欲しい」とメディアを通して公言、VfBシュトゥットガルトを解任された。
1998-99シーズンにはトルコリーグ のフェネルバフチェ に、1999-00シーズンは当時ブンデスリーガ2部だったカールスルーエSCの監督に就任するが、カールスルーエではクラブで初めて3部に降格する。2001年、トルコのアダナスポル の監督となる。
2001-02シーズンで、オーストリア・ブンデスリーガ のFCチロル・インスブルック(現FCヴァッカー・インスブルック )の監督に就任し、優勝する。2003-2004シーズンでは同じオーストリア・ブンデスリーガのFKアウストリア・ウィーン で1年間指揮を取り、2004年遂に母国ドイツ代表のヘッドコーチに就任する。
ドイツ代表ヘッドコーチから代表監督へ
ヘッドコーチ就任後は、当時のユルゲン・クリンスマン 監督の片腕として主にチーム戦術の決定及び戦術トレーニングを担当した。2006 FIFAワールドカップドイツ大会 終了後のクリンスマン辞任に伴い、監督に就任した。
2014 FIFAワールドカップ表彰式で選手達と共に優勝を喜ぶレーヴ
監督就任後は、UEFA EURO 2008 では準優勝、2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会 では2大会連続で3位となり、優勝こそしていないものの高い成績を残していた。ポーランド・ウクライナ共催のUEFA EURO 2012 のグループリーグではポルトガル、オランダ、デンマークとの「死の組」を全勝で首位通過するも、準決勝でマリオ・バロテッリ の2発に沈みイタリア に敗戦、3位となった。2014 FIFAワールドカップブラジル大会 では優勝。南米開催のW杯で、欧州勢として初優勝となる。
2015年3月13日、ドイツ代表との契約を2018年まで延長したことを発表した[2] 。2016年10月31日にUEFA EURO 2020 まで契約を延長し[3] 、2018年5月15日に2022 FIFAワールドカップカタール大会 まで更に契約を延長した[4] 。直後の6月より開催された2018 FIFAワールドカップロシア大会 では、グループリーグF でメキシコ と韓国 に敗れてグループ最下位で敗退した。
2021年3月9日、UEFA EURO 2020 終了後にドイツ代表監督を退任すると発表[5] 。本大会のグループリーグFではフランス 、ポルトガル の同組となり、更にハンガリー の大善戦にも苦しめられることになる。2位でグループリーグは突破するも、決勝トーナメント1回戦でイングランド に0-2で敗れ、不本意な形で15年に渡る長期政権に幕を閉じた[6] 。2022年10月には古巣のVfBシュトゥットガルトよりアドバイザー就任の要請を受けたものの、監督業にこだわるため辞退していたことが報じられた[7] 。
エピソード
レーヴ(左)とハンス=ディーター・フリック アシスタントコーチ(2006年)
家族については本人がメディアに出さないように気を遣っているため不明な点が多い。父は植字 工、4人兄弟の長男である。結婚して20年以上になるが子供はいない。
結婚してから長い間フライブルク の集合団地に住んでいたが、知名度が上がるにつれて観光客が増えてしまい近所に対する迷惑を考慮してフライブルク中心部のマンションに引っ越しをしている。その後2008年にフライブルク南部のウィトナウに転居、市長と消防団 によりプライベートを守られている。
スピード違反 での逮捕歴が2回ある。2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会 期間中に4週間の免許停止を言い渡されている。2014年には6か月間の免許停止の処分を受けた[8] 。
ドイツ代表 の歴代監督は選手時代に活躍している人物を登用する傾向があるが、前述の通りレーヴは例外的な存在である。
ヨギというあだ名は幼稚園児の頃から呼ばれている。ドイツメディアでもヨギ・レーヴ と呼ばれる事が多い。ちなみにヨアヒムという名前をヨギと省略する呼び方は一般的ではない。
Jogiには「ヨガ をする人」という意味があるが、代表選手のトレーニングにヨガを取り入れている。
2010年FIFAワールドカップ・南アフリカ大会 の3位決定戦直前にインフルエンザ に罹患(代表のフィリップ・ラーム とルーカス・ポドルスキ も感染)、39度の高熱を出し倒れ試合前の記者会見も欠席する事態になった。しかし試合当日はベンチ入りし指揮を執っていた。
2010年9月27日に行われたSCフライブルク の総会でSCフライブルクの名誉キャプテンに任命された。
フライブルク・イム・ブライスガウ 付近のヴィトナウ (ドイツ語版 ) 在住。
試合中に鼻の穴をほじったり、体の様々な部位を掻いたり、不潔な行動をする事が多々見受けられる。2014年のブラジルW杯では鼻をほじった手でクリスティアーノ・ロナウド と握手を交わしている。2016年6月、UEFA EURO 2016 のウクライナ 戦ではズボンの中に手を入れた後、その手の匂いを嗅ぐ姿をテレビカメラで映し出された。この事についてレーヴは「ビデオを見たよ。すまなかったね。もう起きてしまったことだから仕方がない」「試合中にはアドレナリンが溢れ出るし、集中していると気付かないうちに勝手に無意識な行為をしてしまうものなんだ。これからは控えるよう気を付けるよ」と語っている[9] 。また、ドイツ代表選手のルーカス・ポドルスキ は「時々かくことくらいあるだろう。僕だってそうだし、君ら(報道陣)の80%もきっとやってるはずだ」とレーヴを擁護した[10] 。
タイトル
監督時代
VfBシュトゥットガルト
FCチロル・インスブルック
ドイツ代表
個人
脚注
外部リンク