モンタギュウ・ロウズ・ジェイムズ

モンタギュウ・ロウズ・ジェイムズ
Montague Rhodes James
1900年撮影
誕生 1862年8月1日
イングランドの旗 イングランド
死没 (1936-06-12) 1936年6月12日(73歳没)
職業 古文書学者、聖書学者小説家
国籍 イギリスの旗 イギリス
ジャンル 怪奇小説
代表作 好古家の怪談集
主な受賞歴 メリット勲章
デビュー作 アルベリックの貼雑帳
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モンタギュウ・ロウズ・ジェイムズ(Montague Rhodes James、1862年8月1日 - 1936年6月12日)は、イギリス小説家日本ではファーストネームミドルネームは「M・R・ジェイムズ」と略されることが多く、ミドルネームは「ロード」と読むこともある[1]

古文書学者としての余暇に書いた怪奇小説で人気を博した。アルジャーノン・ブラックウッドアーサー・マッケンとともに近代イギリス怪奇小説の三巨匠と称される[1]

生涯

ケント州牧師の家に生まれ、サフォーク州ベリー・セント・エドマンズ近くのリバームアの牧師館で育つ。ケンブリッジ大学を卒業し、古文書学者、聖書学者として名声を得て、フィッツウィリアム博物館長、ケンブリッジ大学博物館長を務める。1905年にキングス・カレッジで教鞭をとり、イーストン校の学長を経て、1913年にケンブリッジ大学の副総長となった。小説家としては1893年にケンブリッジでの茶話会で朗読された自作の「アルベリックの貼雑帳」が評判となり、1895年に『ナショナル・レビュー』誌に発表されたことでデビューを果たした。以後、学内誌や学術誌に作品が掲載されるようになり、1904年に怪奇小説集『好古家の怪談集』を出版。晩年にメリット勲章を授与された。愛称はモンティ。

生涯独身で過ごしたが、『好古家の怪談集』の挿絵を描いた友人ジェイムズ・マクブライドの没後は、その未亡人と遺児を庇護した[1]

学者としての多数の著述に加えて、短編怪奇小説31作と長編童話1作を書いた。レ・ファニュの短編集を編集して再評価のきっかけを作ったほか、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの英訳もある。エリザベス・ギャスケルジョージ・マクドナルドエルクマン=シャトリアンドロシー・L・セイヤーズの作品を好んだという。ピアノ演奏をよくし、モーツァルトハイドンの曲をひいた[1]。愛猫家である一方、蜘蛛が大の苦手だったという[2]

作品

作風は伝統的なテーマ、形式の怪談を巧妙に語るもので、長く人気を保っている。好古家(antiquary)が古文書や歴史的遺物、史跡を調べたり、入手したりして怪異に巻き込まれる話が多い。自らの作風を19世紀的であり、20世紀的ではないと評している。古風であるがゆえに安定した人気があり、英米では作品集が常に版を重ねた[1]

英国では1970年代に、BBCによりテレビドラマ化された[3]。詳細は「A Ghost Story for Christmas」を参照。

主要な作品

『笛吹かば現れん』の挿絵
  • アルベリックの貼雑帳 Canon Alberic's Scrap-book 1893年
  • 消えた心臓 Lost Hearts 1893年
  • 銅版画 The mezzotint 1904年
  • 笛吹かば現れん Oh Whistle, and I'll come to you My Lad 1903年
  • 人を呪わば Casting the Runes 1911年
  • 五つの壷 Five Jars 1920年 童話

作品集

  • 『好古家の怪談集』アーノルド社 1904年
  • 『続・好古家の怪談集』1911年
  • 『痩せこけた幽霊』1919年
  • 『怪異と呪い』ノース社 1919年(『好古家の怪談集』から4編を収録)
  • 『猟奇への戒め』1925年

邦訳

日本では小説が全て翻訳されている。短編が中心であるため、アンソロジーに収録されることもある[4]

脚注・出典

  1. ^ a b c d e 創元推理文庫『M.R.ジェイムズ傑作集』(1978年初版)の訳者・紀田順一郎による解説。
  2. ^ 荒俣宏、武内孝夫『ユア コース シリーズ 世界の恐怖怪談』(学習研究社)p.127
  3. ^ 毎日新聞』朝刊2024年12月1日国際面[Sunday Column]英国の怪談 科学万能の反動/長い冬 幽霊を考える(篠田孝一ロンドン支局長)
  4. ^ 『怪奇小説傑作集 第1巻』(創元推理文庫)所収の「ポインター氏の日録」など。

外部リンク

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