メアリー・アンは1845年8月26日にロンドンのソーホーにあるディーン・ストリート(英語版)で生まれた。父は錠前鍛冶のエドワード・ウォーカー (英: Edward Walker)、母はキャロライン (英: Caroline) である。1864年1月16日に印刷装置機械工のウィリアム・ニコルズ (英: William Nichols) と結婚し、1866年から1879年の間に5人の子供を儲けた。子供の名前はエドワード・ジョン (英: Edward John)、パーシー・ジョージ (英: Percy George)、アリス・エスター (英: Alice Esther)、イライザ・セアラ (英: Eliza Sarah)、ヘンリー・アルフレッド (英: Henry Alfred) である。2人の結婚生活は1880年または1881年に破綻したが、その原因を巡って問題に発展した。メアリーの父は、ウィリアムが末っ子の出産に立ち会った看護師と恋愛関係になり、メアリーを置いて出ていったとしてウィリアムを非難した[3]。しかし、ウィリアムは、看護師と恋愛関係にあったとされる日の後も少なくとも3年間は結婚生活が続いていた証拠があると主張した。ウィリアムは、メアリーが自分を捨てて売春を行っていたという主張を曲げなかった[4]。警察の報告によれば、2人が別れる原因となったのはメアリーの飲酒癖だという[5]。
午前3時40分、ホワイトチャペルのバックス・ロー (以降ダーウォード・ストリートに改名) にある門口の前で、荷馬車の御者のチャールズ・アレン・クロス (英: Charles Allen Cross、旧姓: リッチメア <英: Lechmere>)が地面に横たわっているニコルズの遺体を発見した。場所はロンドン病院(英語版)から約135メートル、ブラックウォール・ビルディングス(英語版)から約90メートルの距離だった[11]。スカートがめくれ上がっていた。荷車の御者であるロバート・ポール (英: Robert Paul) が通勤中に通りがかり、クロスの方へ近付いてきた。クロスはポールを呼び寄せ、2人は通りを横切って遺体の方へ向かい、一緒に遺体の様子を調べた。クロスは死んでいるようだと言ったが、ポールは確証が持てず、気を失っているだけかもしれないと思った。2人はめくれたスカートを直して下半身を隠し、警察官を探しに行った。クロスはジョナス・マイズン (英: Jonas Mizen) 巡査と出くわし、すぐにマイズンにニコルズのことを伝えた。その際に、女性は死んでいるか酔っ払っているようだが、おそらく死んでいると思うというようなことを言った[9]。その後、クロスとポールは通勤に戻り、マイズンにニコルズの遺体を任せた。
マイズンが遺体に近付いたとき、巡回中のジョン・ニール (英: John Neale) 巡査が別方向からやって来た。ニールはランタンで合図を送って3人目の警察官のジョン・セイン (英: John Thain) 巡査を現場へ呼び寄せた。殺人事件が起きたというニュースが広がり、ウィンスロップ・ストリートにある廃馬畜処理場から、夜通しの仕事の最中だった3人の馬肉処理業者が遺体を見に来た。馬肉処理業者や近隣の通りを巡回中の警察官、バックス・ローの横の住宅の住人の中に、遺体が発見される前に怪しいものを見聞きしたと報告した者は誰も居なかった[12]。
セイン巡査は外科医のヘンリー・ルエリン (英: Henry Llewellyn) 医師を呼んだ。午前4時にルエリンは到着し、ニコルズは約30分前に死亡したと結論付けた[13]。ニコルズの喉は左から右に2回切られており、腹部は切り刻まれていた。腹部には深くぎざぎざとした傷が1箇所、腹部を横切る傷が数箇所あった。腹部の右側にある3・4箇所の傷は似通っており、同一のナイフ (刃渡りは推定15センチメートルから20センチメートル以上) で下方向に激しく切りつけてできた傷のようだった[14]。ルエリンは犯行現場に少量の血液しか残っていないことに驚いた。大きいワイングラス2杯がいっぱいになる程度、つまりは多くて0.3リットル弱しかなかったという。このことから、ニコルズは遺体が発見された場所以外で殺害された可能性が出てきたが、実際は傷口から出た血液は衣服や毛髪に染みこんでいたというだけだった。ニコルズは遺体が発見された場所で喉を素早く切り裂かれて殺害されたことはほぼ間違いなかった[15]。喉を切られた傷でニコルズはすぐに死亡したようで、腹部の傷はニコルズの死後に付けられたものだった。腹部の傷を付けるのに5分とかからなかったようである。一般に、人間が死亡した後にさらに遺体に傷を付けても、必ずしも大量の出血があるとは限らない。セイン巡査によれば、遺体を持ち上げてみると、固まった血の大きな塊が遺体の下にあったという[16]。
検死審問
殺人事件はロンドン警視庁のベスナル・グリーン(英語版)地区の管轄で発生したため、最初は地元の刑事やジョン・スプラトリング (英: John Spratling) 警部補、ジョセフ・ヘルソン (英: Joseph Helson) 警部補が捜査に当たった。しかし、ほとんど成果が無かった。報道機関内の分子が、以前に発生していたエマ・エリザベス・スミス殺害事件とマーサ・タブラム殺害事件とをニコルズ殺害に結び付け、ニコルズを殺害したのはスミスの事件のようにギャングではないかという説を唱えた[17]。一方で、スター(英語版)紙は単独犯による犯行という説を出し、他の新聞もそれぞれの筋書きで報じた[18]。ロンドンで連続殺人者が野放しになっている疑いから、スコットランドヤード中央局からフレデリック・アバーライン (英: Frederick Abberline) 警部補、ヘンリー・ムーア (英: Henry Moore) 警部補、ウォルター・アンドリューズ (英: Walter Andrews) 警部補が一時的に配属された[19]。
Begg, Paul (2003). Jack the Ripper: The Definitive History. London: Pearson Education. ISBN0-582-50631-X
Bell, Neil R. A. (2016). Capturing Jack the Ripper: In the Boots of a Bobby in Victorian England. Stroud: Amberley Publishing. ISBN978-1-445-62162-3
Cook, Andrew (2009). Jack the Ripper. Stroud, Gloucestershire: Amberley Publishing. ISBN978-1-84868-327-3
Evans, Stewart P.; Rumbelow, Donald (2006). Jack the Ripper: Scotland Yard Investigates. Stroud: Sutton. ISBN0-7509-4228-2
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Fido, Martin (1987). The Crimes, Death and Detection of Jack the Ripper. Vermont: Trafalgar Square. ISBN978-0-297-79136-2
Gordon Honeycombe|Honeycombe, Gordon (1982). The Murders of the Black Museum: 1870-1970, London: Bloomsbury Books, ISBN978-0-863-79040-9
Marriott, Trevor (2005). Jack the Ripper: The 21st Century Investigation. London: John Blake. ISBN1-84454-103-7
Rumbelow, Donald (2004). The Complete Jack the Ripper: Fully Revised and Updated. Penguin Books. ISBN0-14-017395-1
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Woods, Paul; Baddeley, Gavin (2009). Saucy Jack: The Elusive Ripper. Hersham, Surrey: Ian Allan Publishing. ISBN978-0-7110-3410-5