バッハ本人はこの作品に題名を与えておらず、ひとまとめにされた4部に分かれた楽譜には、それぞれにラテン語ミサの各部分のタイトルのみが記されている。すなわち、「キリエ」(Kyrie)、「グロリア」(Gloria)、「ニカイア信条」(Symbolum Nicenum、一般には「クレド」と呼ばれることが多い)、そして「サンクトゥス、ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ」(Sanctus, Hosanna, Benedictus, Agnus Dei)である。また、奏者の編成は部分によって異なっており、これらのことから、これを一体の作品として演奏するということは一切バッハの念頭になかったとする見解もある。一方で、自筆譜の各部には1から4の数字が順に振られており、また、バッハが宗教曲の清書譜の末尾に常に書きこんでいた "S. D. G. " (Soli Deo gloriaの略) は終曲の Dona Nobis Pacem の後にのみ記されている。いずれにせよ、演奏に2時間近くかかるという長大さから、実際の典礼において全曲が演奏されたことはなかった。
バッハは熱心なルター派の信仰者であったが、その彼がカトリック教会の典礼であるラテン語ミサをこれほどの規模で作曲したことを奇異とするのは必ずしもあたらない。ルター派教会の礼拝はラテン語のミサを継承しており、マルティン・ルター自身が、ルター派版の「キリエ」、「グロリア・イン・エクチェルシス・デオ」、「ニカイア信条」、「サンクトゥス」の使用を認めていた。また、バッハは典礼で使用するための小ミサ曲を4曲作曲している。[1]そして、ロ短調ミサ曲の「サンクトゥス」では、小さいながらも重要な改変を典礼文に行っている。すなわち、カトリック教会の典礼文では「天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria tua) とするところを、ルター派版の「天と地は彼の光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria ejus) としているのである。
キリエとグロリアは、1733年に作曲された。キリエは、1733年2月1日に没したザクセン選帝侯強健王アウグストの追悼のために、またグロリアはその子アウグスト3世の選帝侯継承の祝賀のための作品である。なお、アウグスト3世はポーランド王位継承のためにカトリックに改宗していた。バッハはこの作品(キリエとグロリア、 BWV 232a)をアウグスト3世に献呈する際に、1733年7月27日付けの書簡を添え、「ザクセン選帝侯宮廷音楽家」の称号を望み、ライプツィヒでは「苦労の連続である」ことを訴えている[3]。この2曲は、おそらく1733年に、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハが6月からオルガニストを務めていたドレスデンのソフィア教会にて演奏されたが、アウグスト3世の臨席はなかったと考えられている[4]。なお、1734年には、ライプツィヒを訪れた王夫妻のために、その臨席のもと世俗カンタータ dramma per musica を演奏しているが、その冒頭部はロ短調ミサ曲の「ホザンナ」と同じである[5]。
バッハの死後36年たった1786年、ハンブルクでおこなわれた慈善コンサートにて、息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが「ニカイア信条」を「クレド」という題目で演奏している[6]。 現在の研究では、全曲が通して演奏されたのは19世紀半ば以降のことと考えられている。バッハ研究家 John Butt の見解では、「1859年の、ライプツィヒ・リーデル協会による演奏以前に全曲演奏が行われた確実な証拠はない」[7]。
Credo in unum Deum「われは信ず」 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ミクソリディアン、モデラート、2/2拍子。 通奏低音に支えられてフーガが展開される。後半は2部のヴァイオリンも加わって7声のフーガとなる。
Patrem omnipotentem「全能の父」 四部合唱(ソプラノ、アルト、テナー、バス)。ニ長調、アレグロ、2/2拍子。カンタータBWV 171の冒頭曲の転用。 テキストは前曲と続いている部分で、3つの上声部が「われは信ず」を歌い、バスが「全能の父」を歌う。この「全能の父」の主題は後で他の声部にも引き継がれ、「われは信ず」の主題もバスに時々現れる。
Et in unum Dominum「唯一の主」 二重唱(ソプラノ1、アルト)。ト長調、アンダンテ、4/4拍子。 ソプラノとアルトの2声部が、三位一体の第1の「位」(父なる神)と第2の位(子なる神)の一体性をカノン風に歌う。
Et incarnatus est「肉体をとりたまいし者」 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ロ短調、アンダンテ・マエストーソ、3/4拍子。 通奏低音の上で2つのヴァイオリンがユニゾンで演奏する。声楽パートは下降主題で「肉体をとりたまいし者」を静かに1声部ごとに歌う。
Et resurrexit「よみがえり」 五部合唱(ソプラノ1、2、アルト、テナー、バス)。ニ長調、アレグロ、3/4拍子。 テキストが表現している「復活」「昇天」「再臨」の三つの場面は、管弦楽のリトルネロで分けられている。最初に合唱はホモフォニックに「よみがえり」と歌う。「栄光とともに再び来り」の歌詞からフガートになる。
Et in Spiritum Sanctum「聖霊を」 アリア(バス)、オーボエダモーレオブリガート。イ長調、アンダンティーノ、6/8拍子。 自由なダ・カーポ形式で、オーボエ・ダモーレのリトルネロで終わる。
^Hans T. David and Arthur Mendel, The Bach Reader: A Life of Johann Sebastian Bach in Letters and Documents, W. W. Norton & Company, 1945, p. 128. (改定版 "The New Bach Reader: A Life of Johann Sebastian Bach in Letters and Documents" revised by Christoph Wolff, W. W. Norton & Co Inc, 1998, ISBN 9780393045581 , p. 158.)
^John Butt, Bach: Mass in B Minor (Cambridge Music Handbooks), Cambridge University Press, 1991, ISBN 9780521387163 , p. 27.
^"no firm evidence of a complete performance before that of the Riedel-Verein in Leipzig in 1859." Butt, p. 29.
^"The Mass in B minor is the consecration of a whole life: started in 1733 for 'diplomatic' reasons, it was finished in the very last years of Bach's life, when he had already gone blind. This monumental work is a synthesis of every stylistic and technical contribution the Cantor of Leipzig made to music. But it is also the most astounding spiritual encounter between the worlds of Catholic glorification and the Lutheran cult of the cross." Alberto Basso, "The 'Great Mass' in B minor", trans. Derek Yeld, 1999. フィリップ・ヘレヴェッヘ・コレギウム・ヴォカーレ・ゲントによる録音(ハルモニア・ムンディ、HML5901614.15)のリブレットに収録。 [1]