ボディコンとはニットなど体に密着する素材を使って体線(ボディ・ライン)を強調している服(女性用ミニのワンピースが多い)またはボディ・ラインを強調している体形である。
この語は ボディ・コンシャス(body-conscious; 「体を意識している」)の略語[1]であり、ボディラインを隠すオフ・ボディの対極に当たる[2]。英語圏ではファッション以外にも使われている。
ボディコン・ファッションで踊る女性はボディコン・ギャルと呼ばれている[3]。
歴史
前史
1981年頃にはレオタードなどを着用したエアロビクスのブームが始まり[4]、それに伴ってフィットネスクラブが増え、ボディへの注目が高まっていった[3]。
また1982年には既に東洋紡よりボディ・コンシャスを意識した水着「Sexy Sun」が発表されていた[5]。
流行期
1985年開催のパリ・コレクション 1986年春夏においてストラクチュア・シェープ・デザインが多い中でアラブ系デザイナー「アズディン・アライア」のボディ・コンシャス・デザインのドレスが注目され[6][7][3]、1986年より世界でボディ・コンシャス・スタイルが浸透していった。日本では略してボディコンとも呼ばれていった。
ピンキー&ダイアン(Pinky&Dianne、「ピンダイ」とも)などの DCブランドからも、さらにシルエットをシェイプしたスタイルのボディコンファッションが生まれた。元々は女性の自己主張、解放を目指すファッションの動きの一つでもあった[要出典]が、日本では主に遊び着として広まり、特に1980年代のバブル期以降にブームとなった。
1990年代前半に一世を風靡した東京・芝浦のディスコ、ジュリアナ東京 (1991年-1994年)にはワンレン・ボディコン・爪長・トサカ前髪、といったファッションの女性が多く集まり、マスコミでも話題になった。ボディコンファッションでディスコのお立ち台に立つ女性はお立ち台ギャルと呼ばれていた[8]。荒木師匠こと荒木久美子に代表される、ジュリアナ扇子(通称「ジュリ扇」)を合わせたファッションのタレントもこの時期のメディアにしばしば登場した。
脚注
関連項目