ボゴタで豊かではないが名家で生まれた。両親は有名な教育家で、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチの教育法の紹介や、子供のための創造的な教育法についての著書を著した。 colegio del Espíritu Santoで Lorenzo María Llerasのもとで学んだ。1851年に 国の植物委員会に参加し、1857年まで働き、2200種の植物を掲載する植物図鑑の編集をおこなった。
1857年に結婚した後、フランスに渡り、プランション(Jules Émile Planchon)やランダン(Jean Jules Linden)らの著名な植物学者と交際し、南アメリカのヌエバ・グラナダの有用植物の研究を行った。政府の援助の乏しい中、"Enumeración de las plantas de Nueva Granada" (1862–1867)を出版した。