ベーグム・ロキヤはロキヤ・ハトゥン(Rokeya Khatun)として1880年、当時はイギリス領インド帝国で今のバングラデュにあたるランプル、ミタプクールのパイラボンド(Pairabondh)村で生まれた。父のジャーヒルッディーン・ムハンマド・アブー・アリー・ハイダル・サベル(Jahiruddin Muhammad Abu Ali Haidar Saber)は高い教育を受けたザミーンダール(地主)で4回結婚していた。ラハトゥネッサ(Rahatunnessa)との結婚によりロキヤが生まれた。姉妹が2人、兄弟が3人いたが、ひとりは子どものうちに亡くなった。ロキヤの人生は長兄イブラーヒーム・サベル(Ibrahim Saber)とすぐ上の姉カリムネッサ(Karimunnesa)の2人から大きな影響を受けた。カリムネッサはベンガルの多数派言語であるベンガル語を学びたいと考えた。当時、多くの上流階級に属するムスリムは現地語であるベンガル語ではなくアラビア語やペルシア語での教育を好んでいたため、家族はこれを嫌がった。イブラーヒームは英語とベンガル語をロキヤとカリムネッサに教え、この2人の姉妹はどちらも作家になった。
カリムネッサは14歳で結婚し、のちに詩人として評価されるようになった。カリムネッサの息子であるナワーブ・アブドゥル・キャリーム・ガズナウィー(Nawab Abdul Karim Gaznawi)とナワーブ・アブドゥル・ハリーム・ガズナウィー(Nawab Abdul Halim Gaznawi)はどちらも政治の世界で有名になり、英国支配下で高官(ナワーブ)となった。
God Gives, Man Robs (『神が与え、男が盗む』、1927年)。2002年にGod Gives, Man Robs and Other Writings (Dhaka, Narigrantha Prabartana, 2002)として最刊行された。
Education Ideals for the Modern Indian Girl (『現代イスラームの若き女性のための教育の理想』、1931年)。2006年にRokeya Rachanabali, Abdul Quadir, ed., (Dhaka, Bangla Academy, 2006)として再版された。
ベーグム・ロキヤは多くのジャンルにわたり、短編小説、詩、エッセイ、長編小説、風刺文学などを書き、創造性、ロジック、ひねったユーモアのセンスを特徴とする特異な文学的スタイルを発展させた。Saogat, Mahammadi, Nabaprabha, Mahila, Bharatmahila, Al-Eslam, Nawroz, Mahe-Nao, Bangiya Mussalman Sahitya Patrika, The Mussalman, Indian Ladies Magazineなどに定期的に寄稿していた。著作においては、女性に対して不正に抗い、差別を行う社会的障壁を壊すよう呼びかけている。