ベルンハルト2世・エーリヒ・フロイント(ドイツ語:Bernhard II. Erich Freund von Sachsen-Meiningen, 1800年12月17日 - 1882年12月3日)は、ザクセン=マイニンゲン公(在位:1803年 - 1866年)。ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世とその妃ルイーゼ・エレオノーレ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルクの間の一人息子。長姉アーデルハイトはイギリス王ウィリアム4世の妃。
生涯
1803年にわずか3歳で父の後を継いだため、母ルイーゼ・エレオノーレが1821年まで摂政を務めた。1826年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ4世が後継者なく没したことに伴うテューリンゲン諸公国の領土再編に伴い、ヒルトブルクハウゼンとザールフェルトを獲得した。普墺戦争で敗北したオーストリア帝国側に味方したため、責任をとって1866年9月20日に一人息子ゲオルクに譲位し、以後は長く隠遁生活を送った。
子女
1825年3月23日、ベルンハルト2世はヘッセン選帝侯ヴィルヘルム2世の娘マリーと結婚し、一男一女をもうけた。